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《5》『あの日の私……』 社員の行動メモ
1月17日 (火)
05時46分
(制作・織田) 須磨寺の自宅で被災。 激しい横揺れで目覚める。 重機で家を破壊される感じに、 思わず 『死ぬ』 と呟いた時、
揺れが止まった。 近所で泣き叫ぶ声を聞きながら、 外に出たが、 ドアは壊れ外壁もひどい。 家の中の電話が鳴っていたが、 家具などが倒れていて、
そこまで行けない。 しかしAMKは無事だと思った。
(制作・井上) 但馬ブレイクカバーのため、 出社の準備をして、 ストーブの横でオンエアーを聞きながらお茶を飲んでいた。 突然の揺れ。
神棚が落ちた。 家中の火の元を消す。
(制作・今崎) 寝込みを襲った大きな揺れ。 闇のなかガラスの割れる音がやたら耳につく。 家族の名を呼び合いながら、 揺れの真っ最中に外へ。
真っ暗な中、 素足でガラスの上を走ったのに、 かすり傷程度ですんだのが不思議だ。 不気味な静寂のあと、 地響きと共に強い余震が襲う。
闇のなか、 目前の大きな建物が揺れる恐怖は言い表せない。 カーラジオを聞こうと、 キーを取りに家に戻るが、 倒れた家具で入れず、
鉄の格子をはずして窓から入る。
(制作・丸山) 5時半にいつものように出社。 谷五郎モーニングの準備のため、 報道デスクで共同通信からのファックス原稿の整理をしている時ドーンときた。
これは大きいと、 机の下にもぐり込んだ。 そこに背後の書架が倒れてきた。 後は、 放送を再開するに必死だった。 11時過ぎまで、
副調でオンエアーに就く。
(制作・森下) 尼崎の自宅で被災。 しばし放心状態。 ようやく30分後、 オンエアーチェック。 AMKの災害報道を聞いて安心すると同時に、
早く出社しなければと、 とりあえず会社に電話を掛けるがつながらない。
(制作・田中) 4時半に出社。 お早うラジオ朝一番の生放送中だった。 地震直後タレントやスタッフと共に、 一時社外に避難した。
(報道・田中) 起床して新聞を読んでいた。 地震発生後すぐにAMK報道に電話するが、 いくら掛けても通じなかった。
(報道・中川) 家の中は惨憺たる有り様。 暗闇の中、 AMKを聞きながら夫婦で肩を寄合っていた。 電話通ぜず。
(報道・浜田) 布団の中で“お早う朝一番”を聞いていた。 激しい揺れに布団を飛び出し、 妻と一階に避難。 NHKTVを点ける。
大阪震度4、 京都震度5が流れる。 神戸の震度は出ないので、 震源地は京都と判断。 遅勤だったが、 ともかく出社しようと思う。
(アナ・吉田) 自宅2階で、 そろそろ起きようかなと思っていた時に、 大きく揺れを感じた。 西区だったため、 被害は少なく、
最初は東海地方で地震があったのではと思った。 すぐにラジオをつける。
(アナ・国広) 激しい揺れで目がさめた。 暫くは事態の判断がつかなかった。 家族の安否、 自宅周辺の被災状況を確認した。
(アナ・岩崎) 布団から飛び起き、 周囲の状況を確認したあと、 オンエアーを聴くが停波。 揺れの大きさに、 出社すべきと判断。
直ぐ車に乗りこみ局に向かう。
(アナ・三上) 7時半の出社にそなえて、 新聞を読んでいた。 突然ゴッーという音。 大爆発か飛行機の墜落かと思った途端に停電、
大きく揺れだした。 家族の安否を確認しながら、 浜手の方を見ると、 火柱が数本暗闇のなかに見えた。 ようやく電話機を探し出し、
副調にかける。 丸山Dがそのまま放送に出ろと言うが、 電話回線がスタジオにつながらない。 3度目の試みでようやく、 マンションから見える火災の様子をレポートできた。
(アナ・牛尾) 東京出張中。 6時前に、 垂水区の自宅からかかった妻の電話で、 地震のことを知る。
(アナ・林 ) 大阪・福島区の自宅で轟音に目が覚めた。 揺れが収まってから、 会社に何度も電話するが、 全くつながらなかった。
(技術・谷山) 激しい揺れで起こされた。 懐中電灯を探しAM神戸に合わすが、 無音。 キャリアも出ていない。 NHKに合わす。
只今地震があったもよう、 のコメントが入る。 子供部屋にゆき無事を確認。 その時電話が鳴った。 制作の丸山Dから 『会社がえらいこっちゃ!電波が出ているかどうか分からん。
すぐ出てきてくれ』車で飛びだした。
(編成・原田) 東灘区岡本の自宅マンションで被災。 巨大な攪拌機に放り込まれたような衝撃。 家中メチャメチャで足の踏み場もない。
やっとカーテンを開けると、 南の方で火柱が2、 3本上がるのが見えた。
(編成・竹田) 東灘区の自宅で寝ていた。 ジェットコースターに乗っているように揺れた。 コンタクトレンズが見つからず、 家族に手を引かれて公園に逃げた。
下着の上に布団を巻いたかっこうだった。
(営業・武内) ものすごい揺れに起こされて、 家内の安全を確認後、 外に出た。 6時過ぎに室内に戻るが、 物が散乱しラジオも見当たらない。
両親宅や営業局長宅に電話するが不通。
(営業・畠 ) 姫路の自宅で寝ていた。 地震で目覚めたが、 家の中は大したこともないので、 再び眠った。 これほどの地震とは夢にも思わなかった。
7時すぎにNHKTVを見て、 本当に驚いた。
(姫路・戸田) ドーンという大音響と同時に、 激しい揺れで飛び起きた。 飛行機が近くに墜落したかと思った瞬間、 下からうねり上げる揺れ。
枕元のラジオを点けるがAMKは無音。 懐中電灯を探し出したものの、 しばし放心。
(姫路・富士田) 須磨区千守町の自宅2階で寝ていた。 家のなかの物全てが吹っ飛ぶ。 一階が菱形になっていた。 母親が負傷。
AMKを点けたが無音状態。 家から抜け出すのに10分かかった。
(営推・田下) 午前2時から起きてダイニングで本を読んでいた。 机にしがみついたまま、 2階の家族の名を呼んだ。 懐中電灯を捜そうと、
ガスへの警戒も忘れ、 ライターに火をつけた。 ラジオの電池も切れていて、 AMKをモニター出来たのは、 6時を過ぎてからだった。
妻と自分の両親宅に電話。 この時まだ電話は通じた。
(総務・村上) 須磨区須磨寺町の自宅で寝ていた。 地震の後、 『わわわー』 と自分でも信じられない声をだして、 長い間震えていた。
家の外が騒がしくなり、 恐る恐る外に出て今度は足がすくんだ。 隣の家、 馴じみのすぐ側の商店街が倒壊して、 違う町にいるようだった。
(総務・山本) 誰かが 『地震だ!タンスが倒れる』 と言った様な気がして、 とっさに体を横にし、 布団を被った。 その直後にタンスにのしかかられた。
重くてびくともしない。 だんだん重みを増してくる。 『このまま火が回って死ぬのでは』 と、 パニックになった。 必死に 『早く助けて』
と叫んだ。 今思うと滑稽で恥ずかしいが、 『はだしのゲン』 の中のゲンの家族が生きながら焼かれてゆく場面が、 頭に浮かんだ。
(報道・三枝) 西区の自宅。 一階の食器棚が倒れ、 食器こわれる。 停電。 携帯ラジオで放送中断を知る。 緊急呼び出しで、
車で社に向かう。
(技術・谷山) 6時10分過ぎに会社に着く。 廊下の瓦礫の山を目にして愕然とする。 ガス臭い。 泊まり明けの正垣次長から、
副調モニターが止まっている事を聞き、 1スタへ。 モニターアンプラックがレコードプレーヤーの上に倒れ食い込んでいたが、 NEVEとモニターアンプの電源は入ったまま。
幸運である。 ラックのマルチケーブルも天井を壊したものの、 切れていなかった。 停電のため全てがリセットされていたNEVE卓のモニターを再セットし、
元に戻す。 丸山Dが電話が放送に繋がらないと言って騒いでいた。 ハイブリッドを再セットする。
正垣次長の話から、 1スタ→STL→送信所は健在のようだ。 送信所は地震直後は停電したらしいが、 今は商用で運用中。 自家発燃料は満タン、
送信所は暫く大丈夫。 本社側も自家発電が回っている。
早朝ワイドの連中と出社してきた記者が、 ラジオカーとポップカーで被災地に散っている。 400Mは摩耶だけが生きていた。 電源が供給され、
摩耶本社間の専用線がつながっているため助かっている。 鉢伏の400M受信機は死んでいるが、 ラインノイズが確認されるので、
ラインは生きているようだ。 中継班から連絡が入りだした。 400Mの受信ポイントが、 摩耶1カ所では範囲が狭くなる。 本社屋上の400M受信機を下ろすことにした。
アルバイトの永野を連れて、 余震が続くなか、 12階まで駆け上がった。 階段は壁が崩れメチャクチャ。 いつまた崩れるかも知れない恐怖を押し退けて、
屋上へ。 400Mの送受信機共おろした。 それを車庫の屋根に設置し、 本社受けとした。 同時に、 正垣次長が、 連絡用の150Mもオンエアーに使えるよう、
スピーカー端子をラインに接続した。
(姫路・戸田) ラジオの 『AM神戸の社員の方は情報を会社に入れて下さい』 の呼びかけに応えようと、 電話するが一切通じない。
(東京・森 ) 千葉県市川市の自宅に、 大阪府茨木市在住の妹から地震発生の連絡がきた。 TVをつけて情報入手を図る。 すでに神戸への電話は遮断されていた。
6時半ごろ、 清水東京支社長に電話を入れる。
(大阪・勘角) 家がつぶれる、 と思った。 6時過ぎ、 まず本社に電話。 社屋の状況、 放送の状況を確認。 つづいて支社員の安否確認をと電話をかけるが、
いづれもつながらなかった。
(報道・三枝) 社に向かう途中の西区の道路は、 格別の被害なし。 復帰した放送の“ただごとでない異常な”雰囲気にとまどいながらも急ぐ。
06時30分
(制作・織田) 近くのアパートの住民が埋もれているとの報に駆けつけ、 夢中で掘り出す。 会社から二度目の電話がはいり、 今度はなんとか受話器を取る。
古い家並みのひどい壊れ具合に愕然とする。
(制作・井上) JR桃谷駅から報道に一報。 遠藤記者が 『這ってでも出てきてくれ』地下鉄・新幹線・環状線全面ストップの報を、
副調の丸山Dに連絡。
(制作・今崎) カーラジオでようやく得た情報で、 兵庫県南部に大地震。 震源地は淡路島北部だと言っている。 明石海峡をはさみ、
我が家とは目と鼻の先だ。 家族が無事、 家も立っていることに感謝する。 まだ出てこない家が気にかかり、 一軒一軒ドアを叩いて安否を確認する。
(制作・橋本) 『西宮市内で陸橋が落ちている』 『新幹線の橋脚が落ちている』 などの情報を社に入れるため公衆電話に並んだが、
電話がつながらない。
(制作・岩井) 高槻の自宅で寝ていて、 不覚にも地震では目が覚めなかった。 6時30分にタイマーセットしていたラジオが地震情報を流しているのに驚き、
会社や実家に電話するが通じず。
(制作・田中) 中継機材を持たせて、 端山・山本チームを気象台に向かわせた後三枝・永野とともに、 被災地の中継に出る。 以後終日。
(制作・田守) 下宿を出て、 徒歩で会社に向かう。
(制作・牧野) 『社員の方、 地震情報を社に連絡下さい』との放送での呼び掛けに応じ、 副調に電話をかける。
(報道・浜田) 京阪守口市駅で 『京阪はもちろん他の交通機関も止まっている模様と』知らされ、 副調に電話。
(アナ・三浦) 車で家を出る。 途中大渋滞。 こども病院に車を置いて走る。 山電沿いに出ると、 木造家屋は軒並み倒壊。 恐怖に震える。
(アナ・吉田) 6時10分頃、 丸山Dから電話 『すぐ出てきて欲しい』といわれた。 西神に居るため、 実感がない。 簡単に状況を伝えた後、
ともかく周りの様子を見るため外に出る。 地下西神中央駅まで自転車にのって走る。 動いていないことを社に電話するが、 通じず。
(アナ・国広) 家の周辺の様子を、 電話でオンエアー。 その後、 直ちに車で会社へ向かう。
(アナ・林 ) ともかく外にでて街を歩く。 公衆電話がようやくオンエアーにつながった。 梅田に向けて歩きだす。
(アナ・石井) パジャマのまま避難。 避難していた春日野小学校で、 見ず知らずの人に貰った毛布にくるまって、 明るくなるのを待っていた。
(編成・原田) 何度か会社に電話をいれたがつながらない。 AM神戸をモニターする。 明るくなるにつれて、 一変した景色が迫ってくる。
マンション前の旧谷崎邸の庭にあった灯籠が飛んで、 道路上の車の上に乗っているのを見、 大変なことが起こったと思う。
(東京・清水) 森君の 『神戸は地震で大変なようです』 との電話で起こされる。 NHKTVの、 神戸支局内を映した画像に慄然とする。
本社、 神戸の自宅に電話するが、 不通。 しばらくして、 森田常務より上京取消の電話が入る。 支社に出る以外にないと判断し、
家を出る
(報道・三枝) 社の手前2キロで車を放棄。 徒歩で社へ。 離宮前の木造民家が軒並み倒壊。 生き埋めになった人の低い声が聞こえる。
社にかけ込み、 スタジオで途中の様子を急ぎ報告。 すぐにラジオカーで出発する。
07時00分
(制作・織田) 家から広い通りに出るのに一苦労。 途中惨状をレポートしようとしたが、 電話が通ぜず。 黙々と社に向かって歩いた。
(制作・今崎) 一度外から家に戻る。 社へ電話するが通じず。 親、 親戚にかけるが、 どこもつながらない。 ラジオから徐々に事の重大さが伝わってくる。
こころに焦りがうまれる。
(制作・田守) 漸く出社。 社内の瓦礫の山に驚く。 ともかく、 廊下を歩き安くするため、 瓦礫を片づける。
(制作・牧野) 指示を受けるため会社に電話。 遠藤Dに 『何とかして出てきてくれ』 と言われた。
(制作・今林) ラグビー日本選手権大会実況中継および、 ジャイアンツ激励パーティ出席のため、 東京出張中。 滞在中のホテルに、
RFの内藤アナから電話あり。 その時初めて、 大地震の発生を知る。 直ぐに神戸の家人に電話するが、 全く通じず。 気持ちを切替え、
品川区の実家に滞在中の牛尾アナと連絡。 いつでも帰神できる用意をして、 銀座の東京支社で出会うことにする。
(報道・浜田) ようやく動きだした京阪電車で京橋へ。 JRのストップを確認し社電。 再び乗った淀屋橋へ向かう京阪電車の中で、
AM神戸の放送を聞き、 長田区の火災など、 被害の大きさを知る。
(アナ・三浦) 子供病院に車を乗り捨て社にたどり着く。 社屋の屋上なら被害状况が良く分かるはずと思い、 『誰か屋上に上がれ』
と怒鳴る。 しかし階段もエレベーターも使えなくなっていることを知らされる。
(アナ・吉田) 子供達に 『今日は学校は絶対に休みになるし、 もしあっても行かなくてもいい』 『AM神戸の放送を聴いていたら、
私が無事会社に着いたことがわかるので、 二人でしっかり留守番してて』 と言い残して、 家を出る。 ともかくタクシーに乗ろうと駅に向かう
(アナ・三上) 明るくなってきたので、 車で出社。 途中、 倒壊家屋の多い会下山辺りや、 火災の起きている長田区を走り、
そのままスタジオに飛び込んで、 見たままをレポートする。
(アナ・佐藤) 丸山Dから自宅に電話。 『住んでいる元町三宮界隈の様子を見て来てレポートの電話を入れて欲しい』 と言われ、
街に出る。
(姫路・戸田) 息子の友達から 『長田のトポスがぺしゃんこだ』 と聞き、 車で家を出る。 鈴蘭台地区はほとんど被害はないが、
長田区にはいって驚く。 長田の実家は壊滅状態。 しかし両親は無事だった。 それを確認して、 徒歩で本社に向かう。
(営推・田下) 空が明るくなり外に出てみて、 周囲の風景に愕然とした。 会社に電話したがつながらない。 ガス漏れの臭いが充満し、
水道は破裂して水が吹き出していた。 隣人に声を掛け、 倒壊した家の家族を自宅に招き、 結果的にその後1週間、 一緒に共同生活をした。
(報道・三枝) 長田区日吉町の倒壊家屋の中を歩きながら“SOS”のレスキューレポートを繰り返す。 以後、 ラジオカーで、
被災現場を巡りながらの現場レポートを繰り返す。
07時30分
(報道・浜田) 淀屋橋から徒歩で大阪駅に向かい、 御堂筋の被害状況を社電。 偶然、 南に向かって歩いていた林アナに出会う。
(アナ・林 ) 梅田はそれほどの被害ではなかったが、 もう一度電話レポートをいれる。 その後難波に向かって歩いてゆく途中、
報道の浜田記者にばったり出会う。 神戸に入る方法を二人で考えるが、 どの方法もダメ。 行けるところまでタクシーで行くことにする。
(姫路・富士田) 本社に何度も電話するが通じず。 リクエストの着信専用電話がやっとつながり、 遠藤Dに家の状況を伝えるが、
無事なら出てきて欲しいと言われる。
08時00分
(アナ・矢野) 丸山Dから家に電話。 姫路の様子のレポート頼まれる。 その時の声が明るすぎて、 あとで顰蹙をかう。 それくらい、
姫路では地震の実感が希薄だった。
(アナ・三浦) 国広、 三上アナと同乗して本社出発、 県警本部に向かう。
(アナ・国広) 三浦、 三上アナと同乗して、 神戸市対策本部に到着。
(アナ・三上) 三浦、 国広アナと同乗して、 県庁へ。 しかし県庁にはだれもいない。 そのまま三宮・元町の中を歩いて取材。
被害状況を電話レポートしようと思うが、 公衆電話は大半が壊れていた。
(報道・山崎) 8時に徒歩で会社に向けて家を出る。
(東京・清水) 支社に出社。 本社からのモニターラインが生きていて、 オンエアーが維持されているのに、 一安心する。 本社との連絡は、
ついに昼までつかなかった。
(営推・畠 ) 神戸の状況が想像出来ず、 武内部長宅と平井次長宅に電話。 大変な被害状況が初めて実感できる。 交通が途絶したままで、
姫路から動くことができなかった。 自宅待機。
08時30分
(アナ・矢野) 山陽電車とJRの英賀保駅に行くが、 どちらも止まっていた。
(アナ・石井) 避難していた春日野小で聴いたAM神戸の放送に触発され、 何か仕事をしなければと街にでる。 あてもなく歩いていたとき、
葺合消防署前で、 中継チームの端山・山本 (邦) の車に出会う。
(姫路・富士田) 一瞬電気が戻った直後に、 向かいの家から出火。 119通報するが、 『行けません』 との返事。 近所の人と消火につとめ、
玄関を焼いただけで消し止める。 車で長田に向かった隣人が、 すぐ引き返してきて、 『2号線、 長田一面、 火の海や』。
09時00分
(制作・織田) 安否情報の担当アナのキープ、 報道制作部員の安否確認など、 後方支援の仕事を続ける。
(制作・井上) 尼崎市園田の森下Dの家に電話。 出社方法を相談するが、 名案なし。 車で自宅を出発。 8時間かけて武庫川までがやっと。
出社をあきらめ引き返し、 帰宅したのは、 夜の9時。
(制作・今崎) ともかく会社に行こうと車ででる。 普段なら5分の2号線までが30分。 脇道にそれるが大渋滞で動けなくなり、
車をほり捨て家に戻る。 バイクを調達し、 社へ向けて夢中で走る。 周囲の状況は目を覆うばかり。 道中の光景で覚悟はしていたものの、
やっとたどり着いた本社ビルの痛々しい姿に新たなショックを受ける。
(報道・田中) 家の周り、 阪急甲陽園駅などを見て回る。 交通途絶、 電話不通。
(アナ・吉田) 西神中央駅のタクシー乗り場で、 神戸商科大学へ向かう教授と長田へ向かう男性と相乗りでタクシーに乗り込み、
会社に向かうが渋滞がひどく、 離宮公園あたりでタクシーを降り、 歩く。
(アナ・国広) 神戸市災害対策本部から、 本部発表の被害状況を、 電話でレポートする。
(アナ・佐藤) 家を出てJR元町まで歩く。 職員が 『私たちも様子がさっぱり分りません。 電車は止まっています。 ラジオだけが情報源です』
といわれる。 元町駅から会社に電話。 いろいろな番号を試して漸くつながる。 塚野取締役が電話を取ってくれたので、 『どうすればいいですか』
と指示を仰ぐと 『関電で停電と復旧見通しを聞いてくれ』 と言われ、 徒歩で三宮の関西電力に向かう。
(編成・原田) 車で家をでる。 六甲あたりの火災で行くてを阻まれ、 山手幹線から青谷方面に回る。 コンビニの前に長蛇の列。
みんなの静かな表情が、 印象深い。
(営推・畠 ) 倉本君から出社出来ない旨の電話が入る。 その後、 営業関係者に電話を掛けようとしたが、 結局姫路神戸の間の電話は、
終日つながらなかった。
(姫路・戸田) 街は空襲をうけた直後の写真のよう。 JR山陽線の南沿いを本社に向かって歩く。 全壊した家の前で、 毛布にくるまって立ち尽くす人に、
話をきこうとしたが、 出来なかった。 9時半本社着。 丸山Dの指示でスタジオに。
10時00分
(報道・浜田) 林アナとタクシーで一路西を目指すが、 尼崎にはいると、 車は完全にストップ。 阪神県民局に前進基地を置くことにして、
二人で歩いて県民局に。 県民局から本社へは電話はつながらない。 東京支社につながったので、 阪神間の被害状況を東京経由で本社に送ろうとしたが、
ほとんどそれらの情報は届かず、 放送を聞きながら歯ぎしりする。
(アナ・吉田) タクシーを降りて離宮道を歩きながら、 あまりの酷さに、 これは大変なことになったと、 身がすくむ。 なんとか社にたどり着き、
すぐにスタジオに入って見てきたことをレポートする。
(アナ・三上) 生田消防署、 生田警察署、 市役所などを巡って取材を続けるが、 公衆電話が潰れていて、 レポートの手だてがない。
なんとかしなければと、 気持ちが焦る。
(アナ・林 ) 浜田記者と阪神県民局を基地にして、 夜の7時ころまで取材を続けるが、 本社とは全く連絡とれず。 わずかに東京支社経由で2回情報が放送されたのみ。
オンエアーに阪神間の情報が出ていない現状に歯がゆい思い。 大阪福島の自宅まで歩いて帰る。
(アナ・佐藤) 関電では対策本部が置かれたばかりで、 被害はまったく掴んでいなかった。 ラジオで呼びかけたいことはと尋ねると、
『落ちている電線には触らないで下さい』 『ドライヤーなど発熱する電気器具は、 何かの理由でスイッチが入り火事になる恐れがあるので、
電源を抜くように』 と頼まれる。 とりあえずこの情報を本社に送ろうとしたが、 公衆電話は停電でカードが使えない。 そういうこともあろうかと、
家を出るとき10円玉を持ってきたが、 普通の公衆電話もかからない。 幾つ回ってもだめだった。 放送を聞いていると、 三枝さんのラジオカーが元町辺りで中継をしていた。
三宮の方へ来るらしい。 関電の情報はラジオカーから報告しようと思い、 フラワーロードを三宮の方へ歩いた。 非常に寒かった。
とりあえず車に乗り込んで暖をとろうという気持ちもあった。
(アナ・石井) 東灘警察に到着。 そこで様子を取材に来ていた夕方ワイドのキャスター・露の団六さんに出会った。 私はパジャマの上にコートを羽織り、
ブーツを履いているという、 人には見せたくない姿だった。
(営推・武内) 北野町の家から原付バイクで出社。 途中ビルが倒れていて何度も道を変える。 事務所のある新聞会館は立入禁止。
三宮近辺の代理店スポンサーの被災状況を見て回る。 さんちか、 そごう、 大丸、 ダイエー、 どこも酷い。 代理店に人はいなかった。
11時00分
(制作・森下) 何度も会社に電話をするがまるでだめ。 出社を決意し、 尼崎市園田の家を車で出掛けるが、 幹線道路にでることも出来ず、
引き返す。
(制作・岩井) 京阪電車が動いていると知り、 高槻市の自宅を出る。 バスを乗り継ぎ枚方駅から淀屋橋に着く。 そのまま十数年前に勤務していた大阪支社に出社。
地下の守衛室で鍵を受取り上る。 だれも来ていなかった。 この日収録し放送する事になっていた特番が放送出来ない旨、 代理店等に連絡。
そののち、 支社にかかってきた電話の応対をして、 一人で6時まで支社にとどまる。
(制作・牧野) 技術・池田部長の車に同乗し、 鈴蘭台から3時間かかって会社に着く。 途中、 西神戸有料道路のゲートあたりで真っ赤に染め上がった、
長田区の上空が見える。 普段より空が大きく膨らんで見えた。 真っ赤な空に黒煙が何本も立ちのぼっていて、 “風と共に去りぬ”のオープニングシーンのようだと思った。
あれが六甲山の南側の現実だと思うと、 思わず背筋が寒くなった。
(制作・今林) ホテルから東京支社に出社。 支社員は全員出社していた。 本社からの放送モニターラインが、 頻繁に途切れた。
本社への連絡専用線は通じていなかった。 本社からかかる電話回線のみが生きていた。 情報収集のため神戸新聞東京支社をたずねるなど、
支社員のバックアップに努めた。
(報道・山崎) 途中、 国道2号線塩屋駅西でガス漏れなどによる通行止めもあったが、 垂水から徒歩で3時間かかって会社に到着。
報道デスクを翌朝までぶっ通しでつとめる。
(アナ・佐藤) 三宮センター街の出口に来たとき、 目の前をラジオカーが神戸新聞の方に通り抜けた。 イタイタと思い、 走って追いかけた。
そごうの前で止まったラジオカーに駆け寄り、 後部座席に乗り込む。 寒くて混乱していた。 関電の情報はその時は送れなかった。
入社4年目だがこういう事態は初めてで、 何をどう伝えるのか整理が出来なかった。
(編成・原田) 新神戸あたりから大渋滞。 AM神戸の情報が西部に偏っているのに、 苛立つ。 いまにも倒れそうな柏井ビルの前を通る勇気がなく加納町を右折する。
長田の西市民病院まできたのが14時。 その時点で出社をあきらめ、 引き返す。 帰宅は20時だった。
11時30分
(制作・丸山) 藤原アナと、 第4中継チームとして、 被災地の取材に出る。 ドライバーは原田さん。 大正筋商店街一帯があの様に焼き尽くされるとは、
火災をレポートした時点では、 思ってもいなかった。
(大阪・斉藤) 家の周りの、 使用可能な公衆電話を、 探して歩く。 列に並び、 本社や支社、 代理店などに次々電話をかける。
多くの方が後ろに並んでいるので、 大変気を使いながらの作業だった。
(総務・村上) 家族に、 一時間だけ会社に行ってくる、 と言って家を出た。 徒歩15分の距離が、 随分遠くに感じられた。
違う町を歩いているようだった。 本社の無残な姿に、 胸が潰れた。
15時30分
(アナ・三上) 市役所から県庁に戻り、 知事の会見をレポートする。 県庁からの電話は、 不思議とすんなり本社につながった。
(技術・谷山) このまま自家発電が続くと、 燃料が足りなくなる。 中継チームのガソリンも心配。 ユーズの浅原氏のつてで、
加古川のGSに、 軽油とガソリン、 それぞれドラム缶一本づつを発注する。
16時00分
(技術・谷山) 徹夜に備えて、 泊まりの準備と食料の調達のため、 一度自宅に戻る。 食料を揃えて17時前に家を出たが、 渋滞で進まない。
大田町の火災現場では、 車の中まで熱気が及ぶ。 2時間以上かかって19時過ぎ本社に着く。
17時00分
(制作・森下) 車での出社を、 もう一度試みるが、 午前中よりもひどい渋滞。 明日、 自転車でゆくことにして、 引き返す。
その間もAM神戸はずっと放送している。 仲間が頑張っているのにどうしようもなく、 やり切れない思いで一晩をすごす。
17時20分
(アナ・三浦) 県警災害警備本部発表の死亡者名簿の第一回分を、 公衆電話からオンエアー。 友人母堂の名前があり戦慄。
18時00分
(アナ・三浦) 佐藤アナと県警本部の担当を交替。 徒歩とヒッチハイクで本社へ急ぐ。 兵庫、 長田の大火災の中を黙々と歩く。
九時半帰着。 昨夜以来の夕食をとる。
(アナ・吉田) いったん帰宅するように指示され、 加古さんの車で、 西條遊児さん共々送ってもらう。
(アナ・国広) 神戸市役所災害対策本部から本社への連絡は、 途絶状態が続く。 帰社を判断し徒歩で本社へ向かう。 5時間かけ、
23時に須磨の本社に到着。
(アナ・三上) 中継に出ていた、 丸山Dと藤原正美レポーターのポップカーが、 県庁に迎えに来た。 同乗して本社に向かう。
途中、 車窓から見る火災状況を何度となくレポート。 長田区大橋9丁目あたりで消火活動の規制のため車が動かなくなった。 徒歩で本社に。
十時半、 この日初めての食事にありつく。
18時30分
(制作・橋本) 夜になって近くの小学校に避難する。 食料も水も毛布もなし。 親子、 知人などの安否を呼びかける校内放送を手伝う。
会社で同僚が頑張っているのに、 なにもしないではおれない気持ちだった。
(制作・今林) 帰神は明日にし、 昨夜のホテルに舞い戻り、 もう一泊。
20時00分
(報道・浜田) 夜になれば道がすくと思い、 阪神県民局からタクシーを手配したが出来ない。 結局この日は本社行きを断念。 尼崎の県民局から徒歩で大阪駅まで歩き、
23時帰宅。
1月18日 (水)
(制作・井上) 5時20分、 浜田記者、 林アナとJR京橋駅で待ち合わせ。 車で会社へ向かう。 地図を頼りに抜け道をさがし、
対向車を止めては、 先の状況を把握しながら進む。 会社まで4■の所まで来て動かない。 浜田、 林両君は歩くと言って降りる。
結局8時間半かかって、 14時にようやく本社到着。
(制作・橋本) 眠れない一夜を避難所の小学校ですごす。 長い行列にならんで、 おにぎり一個パン一枚牛乳小一パックの食料配付を受ける。
あちこちの公衆電話に並んで会社に電話をしたが、 つながらなかった。 道路も交通渋滞がひどく交通機関は途絶したまま。 終日、
同僚の声をラジオでずっと聞いていた。
(制作・森下) 早朝5時、 意を決して、 ママチャリで家を出る。 幹線道路はさけ、 裏道を選びひたすらペダルをこぐ。 西宮に入り、
想像をはるかにこえた情景に絶句。 公衆電話からオンエアー卓にコンタクト。 状況を伝える。 一路社へ。 夙川、 芦屋、 東灘と進むにつれ、
ますます状況は悲惨。 三宮を通過。 そごう百貨店、 交通センタービルの壊れた姿に、 不覚にも涙。 11時、 ようやく会社にたどりついた。
わが社のあまりの変りように言葉もでない。 井上さんと大部屋の中を片づけながら“なんで神戸やねん”と、 幾度もぼやきが口をつく。
(制作・岩井) JRが大阪まで通った。 この日も大阪支社に出社。 梅本部長と黒川君が出社していた。 担当している録音番組の放送不能を、
関係先に連絡するが、 神戸の状況や会社の状況を理解していない大阪在住の人に、 頑固に拒否され、 説得にてこずる。
(制作・牧野) 前夜は19時に池田部長の車で会社を出て、 21時帰宅。 7時30分、 北神急行電鉄谷上駅へ向けて、 徒歩で家をでる。
1時間かかった。 新神戸駅から会社に向けて歩く。 3時間かかって12時に須磨の本社に着いた。 夜は会社に泊まった。
(制作・今林) 午前11時過ぎ、 牛尾アナと再び東京支社で落ち合う。 なんとか本日中の本社帰着をめざす。 11時過ぎ、 京都止りの新幹線にどうにか乗り込む。
超満員の在来線で京都から大阪に。 3時過ぎ、 大阪支社に立ち寄り、 不用不急の荷物を預ける。 途中、 飲料水を買い込み、
阪急梅田駅に。 阪急は西宮北口までしか通っていない。 18時過ぎに北口着。
会社に電話が通じ、 午前2時までに県警災害警備本部までたどり着けば、 本社に帰るラジオカーに同乗出来ると言われた。
西宮駅の周辺は、 西から歩いてたどり着いた人、 大阪方面から電車で来た人が渦をまいている。 タクシーで行ける所まで行くという考えはすっとんでしまう。
18時半過ぎに、 意を決して徒歩で西宮北口を出発。 ひたすら西進する。 芦屋川の越えたところで、 風景が一変する。 ガス臭い。
火災家屋の残臭か、 異臭が鼻をつく。 地獄という言葉を思い出す。 動悸が高くなるのがはっきりとわかる。 東灘区の2号線上で、
いても立ってもいられなくなり、 本社に電話、 そのままレポートする。 しかし何を喋ったのか覚えていない。 ただ、 何か伝えなくてはと、
それのみ。 暗闇でよくプッシュボタンが正確に押せたものだと、 後になって思う。 住吉川の近くで、 寒空、 瓦礫の前に立ち尽くす、
家族らしい一団を見る。 突然、 父親らしき中年男性がガレキによじ登り、 わずかな隙間を覗き込みそして家族の方を振り向くと、
ワッと声をあげて泣きだした。 無残なことになっているのだろう。 二人とも声もかけられず、 黙って西進する。 北口出発時に二人で決めた、
20分歩いて5分休むというペースが、 いつの間にか、 10分歩いて10分休むというものになっている。 5時間歩いてやっと六甲あたり。
心身ともに疲れ果てているが歩く以外にない。 オーパの尖った積み木のような建物が見えた。 もうすぐや、 と互いに励ましながら進む。
加納町の交差点の手前で呼び止められ、 たき出しのオニギリをいただく。 ありがたい。 東京支社を出発して17時間、 午前1時50分、
県警災害警備本部にやっとたどり着いた本社着午前2時50分。 (アナ・吉田) 今日は出社したら帰れないかも知れないと思い、
家の片づけをしているところに、 三枝Dの奥さんから電話。 『差し入れをもって会社に行くが、 車に同乗しないか』 との誘い。
それなら私もと、 大急ぎでご飯を炊き、 オニギリなどを用意した。 10時半過ぎに西区の自宅を三枝夫人の車で出発。 道路は大渋滞。
名谷あたりで車を置き去りにして、 大きな荷物をもって歩きだす。 13時30分、 本社到着。
(アナ・三上) 前夜は山田局長から、 『明朝は早く出てくるように』 と指示を受けて、 社を23時にでた。 道路は大渋滞で、
いつもなら15分で帰れる道が6時間半もかかり、 家に着いたのは5時30分。 着替えだけして、 再び今度は徒歩で社に向かう。
太田町交差点でガソリンスタンドに火が迫る火災を、 公衆電話からレポート。
(アナ・林 ) 5時20分、 JR京橋駅で、 浜田さんと落ち合い、 井上さんの車で本社へ向かう。 渋滞に閉口し途中から歩き、
9時半に到着。 震災後初めて入った会社の、 予想以上の惨状に驚き声も出ない。 いつ崩れるかと恐怖感が身を包む。
(大阪・勘角) 本社に出社。 安否情報の電話受け、 および支社間の連絡業務を手伝う。 その後一ヶ月は、 大阪のホテルを転々として、
単身赴任生活。
(大阪・梅本) 阪急の伊丹駅が倒壊。 自転車で武庫荘まで行き、 午後には支社へ。 電話がジャンジャン鳴っていた。 代理店や関係先からの問い合わせ多数。
このあと1週間は、 関西電力・大阪ガス関連の電話の応対等で、 深夜帰宅が続いた。
(大阪・高山) 交通期間の途絶で、 支社への出社は無理だった。 19日から、 本社に出社して、 安否情報の電話受け、 代理店等への連絡業務に携わる。
(営推・田下) AM神戸の放送に自宅のある明石市の状況がほとんど出ない。
明石市に取材し、 本社に電話を何度もかけて、 なんとか明石市の被害をレポートする。 同時に、 明石市対策本部に、 AM神戸に情報を送るように依頼する。
以 上 |