| 《2》震災報道の検証 震災報道の経過と検証 目 次
【1】災害への対応体制について (震災前) (1) 施設・器材面 ■ スタジオ・放送機器への備え ■ 中継器材 ■ 無線・中継システム ■ 停電対策 (2) 人員配置と連絡体制 (3) 報道方針と報道体制 (4) 他機関との情報・連絡体制
【2】実際の対応について (1) 初動体制 (2) 電源・放送場所の確保 (3) 情報連絡システム ■ 社員非常呼集と社員連絡 ■ 情報源の確保 ■ 聴取者からの受信システム ■ 放送機器の情報収集システム ■ 連絡無線・放送番組中継無線システム ■ その他 (4) 実際の初動対応の総括 【3-A】放送体制について (1) 指揮系統 (2) 要員の確保 (3) 器材の確保 (4) 人員配置 【3-B】放送体制の総括 (1) 指揮系統 (2) 情報デスク (3) 放送体制 (4) 取材体制 (5) 技術的側面 【4-A】放送内容・情報について (1) 災害後の放送方針 (2) 災害後の番組構成 (3) 特別放送の内容 (4) 情報の種類と入手経路 (5) リスナー情報の種類 (6) 行政からの情報提供、 放送要請 (7) 他局との連携や作業分担 【4-B】放送内容・情報の総括 (1) 放送方針と姿勢 (2) 放送内容・情報の点検 ■ ラジオカー ■ ホットライン情報 (リスナー情報) ○ 安否情報 ○ 安否情報についての考察 ○ 安否情報決定の経緯 ■ その他のリスナー情報 ■ 行政情報 ■ ライフライン情報 ■ 余震・地震情報 (3) 情報の入手と出し方 【5】地域と震災報道 【6】メディアとしての視点 【7】編成・営業面の報告と総括 (1) 編成業務について (2) 営業活動について 【8】管理面 (バックアップ) からの報告 (1) 地震発生時の状況 (2) 地震発生後の指揮系統 ■ 特別災害放送本部設置 ■ 災害対策本部設置 ■ 緊急避難対策 ○ 本社屋からの緊急避難 ○ 仮設スタジオ等の建設について (3) 社員の被害状況 (4) 建造物・設備の被害状況 (5) 社員の勤務状況など ■ 出勤・通勤状況 ■ 勤務状況 ■ 重要書類などの管理 ■ 食料・水の確保 ■ 宿直室・寝具の確保 ■ 電源の確保、 中継車・発電機等の燃料確保 ■ 情報通信手段 (6) 地震発生3ヶ月以降の対応 (7) 管理部門としての総括 【9】管理部門の対応 【10】被 害 状 況 (1) 被害状況一覧 (2) 復 旧 状 況 【11】今 後 の 課 題 (1) 社 全 体 (2) 報道実施面 (3) ハ ー ド 面 (4) 営 業 面 (5) 地域、 他局 (6) 番 組 編 成 (7) そ の 他 目次に戻る 【1】災害への対応体制について (震災前) 近畿地方では台風、 水害などによる災害はある程度想定し、 過去の経験もあったが、 大地震に備えた想定はほとんどしていなかったのが現実だった。 昭和59年改訂の社内における 『非常災害規定』はあるが、 その存在すら知らない社員がほとんどで、 危機管理体制の確立を図るべくその再改訂版を作る必要性を総務・報道現場デスクで話し合っていた矢先の被災であった。 (1) 施設・器材面 明石架橋に伴う送信障害解決のため、 平成6年11月、 送信所を新設するとともに、 マスター機器、 自家発電装置などを更新していた。 社屋は昭和43年以来、 特に耐震のための装備は更新していなかった。 最近では建物の老朽化が急速に進み、 水もれや空調の故障などが頻繁であった。 ■ スタジオ・放送機器の災害への備え ● スタジオ 昭和43年建設の古いスタジオであったが、 防音効果を上げるための浮き床構造が地震に対しても震動を吸収するという思わぬ威力を発揮し、 周囲の破壊状況に比べ、 損傷は極めて軽微であった。 ● 放送機器 各スタジオ音響設備は、 ミキサー卓等の基本システムは建設時のものを、 放送現場のニーズに沿うよう適宜、 補修の更新を繰り返しながら、 現在に至っており、 特に耐震対策は考えていなかったが、 下部はアンカーで固定していた。 反面、 モニターSPやテープデッキ等は頻繁に場所を移動するため、 キャスター付きの架台に乗っており、 非常に不安定であり、 案の定、 地震により被害が大きかった。 マスター室の各機器は、 一部を除いてアンカーボルトによる基部固定で、 特に対策は施していないが、 この大地震に充分耐えた。 ■ 報道、 中継のための車両、 器材は日常の放送活動に使用する域を出ず、 危機管理体制強化のため、 現場からは更なる充実を求める声が常にあった。 この中で、 ラジオカーは平成6年夏に四駆車を導入、 はからずも今回の震災では大いに威力を発揮した。 ■ 無線・中継システム ● 無 線 当社に割り当てられている周波数は、 ナローバンドVHF151.73MHzとワイドバンドUHF464-00MHzである。 各車輛に搭載して番組中継に使用している。 神戸は、 六甲山系が市街地に迫り、 中継エリアが狭いので、 受信基地を以下の通り設けている。 本社演奏所ビル屋上 高さ 55m 鉢伏山頂 高さ 250m 摩耶山山頂 高さ 600m 淡路送信所 高さ 135m 姫路支社 高さ 35m 受信基地と演奏所は、 専用線ないしINS回線で結んでいる。 このうち、 災害時電源バック・アップがあるのは摩耶山及送信所で、 本社演奏所は複合ビルのため、 バック・アップは無い。 従って、 震災時利用出来たのは、 この2基地のみで、 NTT専用線も切断することは無かった。 ● 中継システム 各出先からの音声信号は、 演奏所マスターの中継台に一括して立ち上がり、 EQレベル調整を行ったあと、 各スタジオに配信していたが、 今回、 NTTの専用線にはほとんど被害が無く、 特に問題は無かった。 ■ 停電対策 ● 中波放送局として当然の停電対策はとっており、 災害時にエンジンさえ起動すれば電源は、 瞬時に確保出来る。 問題は燃料確保であり、 通常の短時間停電であれば全く問題ないが、 今度の地震のような想像を絶する規模では、 数日間の燃料が必要となるにもかかわらず、 消防法などにかかわることもあって、 多量の備蓄は出来ず、 当社では連続40時間分の備蓄のみであった。 (2) 人員配置と連絡体制 非常災害時の人員配置については特にマニュアル化したものはなかった。 ただ報道の泊まりを廃止して以来、 深夜・早朝 (22:30~5:30) の緊急事態については、 報道セクションのみの連絡体制は決めていた。 (守衛が報道デスクへ電話連絡。 次第によって非常呼集。) また、 放送事故等の緊急連絡網は管理職間にはとり決めがあった。 (3) 報道方針と報道体制 災害報道については、 具体的な方針と実施方法のマニュアルが昭和59年に改訂した 『非常災害規定』には記載されてはいたが十分なものとは言えず、 その上、 『規定』そのものが忘れられた存在であったため、 実体的にはマニュアルなしの状態であった。 昨年秋頃から編成制作局デスクを中心に災害時の報道体制などマニュアル作りを検討していた矢先であった。 また、 現場では最近の九州・北海道の水害、 地震などの災害に際しての地元ラジオ局の教訓などから、 災害時には被害情報とともに安否情報や生活情報を中心としたレスキュー報道がラジオの使命であるという認識があった。 (4) 他機関との情報、 連絡体制 県とは、 兵庫県防災会議での取り決めで兵庫県地域防災計画の中で 『災害時における放送要請に関する協定』(昭和53年4月1日) がある。 兵庫県の災害に備えたシステム、 兵庫衛星通信ネットワークに加入している。 神戸市を始めとする県内各自治体とは、 特に災害時の取り決めはなかった。 また、 ライフライン機関とは、 特に災害に備えての取り決め、 緊急連絡体制、 情報提供システムはなかった。 警察他の防災機関 気象台 直通電話、 マイコスシステム 消防局 火災通報電話 (着信のみ)、 消防局に特設スタジオあり 目次に戻る 【2】実際の対応 (1) 初動体制 [第一報をどう放送したか] 地震発生時は、 早朝ナマ番組 『おはようラジオ朝一番』の放送中であった。 5時44分過ぎから、 『朝の体操』のテープが流れていた。 それからおよそ2分後あの地震が発生した。 地震と同時に停電し放送は中断した。 この時、 社内では、 この番組スタッフ4人の他に、 6時30分からの 『谷五郎モーニング』のスタッフ5人がスタンバイしていた。 更に技術部の明け勤務者1名、 守衛1名を加えて合計11名が放送活動に従事していた。 激しい揺れが収まった後、 社内の損傷が甚大だったため、 危険を感じたスタッフの大半は一時、 社外へ避難した。 社内に残った2人のディレクターが電話で役員、 社員へ非常呼集をかけるとともに、 オンエアが可能な状態を確認し、 避難していた他のスタッフを呼び戻して、 午前6時の時報後、 放送を再開した。 放送中断は13分05秒であった。 『しゃべりましょうか…はい。 AM神戸のスタジオです。 スタジオが現在、ただいまの地震で壊れております。 音声が途切れております。 情報が入り次第お伝えします』。 これが女性パーソナリティによる、 放送再開の第一声であった。 当初、 情報が極端に不足し、 社員による電話リポートや出社した社員のスタジオレポートが情報の大半を占めた。 地震情報1号は6時10分頃放送、 神戸の震度が判明したのは6時35分頃に放送した2号の時だった。 気象台はじめ各機関への電話は全て不能だった。 初期の情報源は、 共同通信のFAXのみであった。 6時30分過ぎ、 気象台へ向けて最初の中継車が出発したが、 無線が作動せず、 電話でリポートすることになった。 7時5分頃にラジオカーが出動、 ようやく災害地の状況を現場から放送できるようになった。 こうして、 1月17日 (火) 午前6時から、 1月20日 (金) 午前3時までの連続69時間に及ぶ震災特別報道が始まった。 この後、 午前8時から安否情報の放送を開始した。 以後の震災報道は、 ラジオカーリポート、 安否情報、 生活情報を軸に展開した。 (2) 電源放送場所の確保 前述したように、 地震発生と同時に、 送信所及び演奏所は、 ともに停電した。 しかし、 自家発電装置がスムーズに働き、 およそ20秒間続いた揺れが収まるのと同時に搬送波が復活、 局内の照明も回復し、 各機器類も一部を除いて、 再作動した。 地震直後のスタジオ副調整室の中は、 ミキシングコンソールの電源ユニット2台と、 モニターアンプ3台などを組み込んだラックがレコードプレーヤーの上に倒れたが、 ケーブルの切断がなかったため、 AC電源回復後、 倒れたまま正常に作動した。 4つのスタジオのうち、 録音用の3つは廊下側の壁の崩落の影響でガラスが押し潰されるなどの被害を受け、 一部使用不能となった。 しかし、 オンエアスタジオは奇跡的に殆ど損傷がなかった。 マスタールームは多くのロッカー類が倒壊したが、 重要機器類は難を免れ、 正常に作動した。 この他、 屋上に設置したパラボラアンテナ、 淡路島の新送信所も何とか無事だったので放送再開にこぎつけることができた。 しかし、 このこととは別に、 社屋内の壁の崩落が激しく、 柱に無数の亀裂を生じるなど危険な状態であったため、 震災1週間後の1月24日、 東隣の関連企業のビルに緊急避難した。 スタジオは、 PAミキサー講習用の簡易スタジオを使用し、 急場を凌いだ。 (3) 情報連絡システム ■ 社員非常呼集と社員連絡 非常呼集システムは確立されていなかったが、 当日の早朝番組スタッフが、 一般加入電話 (携帯電話も含む) による一斉呼集を行った。 10数回のリダイアルによってようやく通話できる状況で、 災害発生直後、 社員へ直接連絡が取れたのは全体の1割程度にとどまった。 被害の少ない社員の自宅間での連絡 (例えば、 北区~垂水区間) など比較的スムーズに接続できた回線もあり、 今後の参考となった。 当然のことながら須磨の社屋からの発信は、 地震後、 時間を経るごとに状況が厳しくなっていった。 一方で、 各支社 (東京・大阪・姫路) との専用線は被害を受けず、 連絡はスムーズに行われたが、 社内設置の災害優先電話は全く機能しなかった。 ■ 情報源の確保 各ライフライン機関、 気象台、 消防、 警察、 県、 市などとの連絡は、 電話回線の途絶、 混乱により全くとれなかった。 兵庫県の防災用衛星通信ネットワークは県庁内のバックアップの電源装置の故障で使用不能となった。 共同通信のFAXは奇跡的に生きており、 地震情報の多くは共同FAXに頼った。 地震直後の神戸市内、 近隣市町の様子については、 出勤途中の社員からの情報提供が放送に役立った。 ■ 聴取者からの受信システム 聴取者からの電話受信は7台の着信専用電話を使用した。 普段は、 リスナーからのリクエストや情報受信などに使う078-733-0123の回線は奇跡的に正常につながっており、 安否情報、 生活情報の受信に大きく役立った。 しかし、 この回線がふさがると731-4321や731-4323など、 会社の代表番号などへも聴取者の電話が殺到した。 ■ 放送機器の情報収集システム 当社の放送設備は淡路島及び豊岡地区に重要施設があり、 無線ないし有線回線 (NTT専用線) で、 機器の運転状況を監視している。 幸い地震による被害はなく、 正常に機能した。 ■ 連絡無線・放送番組中継無線システム 当社の場合、 連絡無線としてVHF帯の1波、 中継用としてUHF帯の1波の割り当てを受けているが、 3ヶ所の受信施設のうち、 2ヶ所はダメージを受けたが、 エリアの広い摩耶山頂受信施設が健在で、 事実上問題はなかった。 ■ その他 パソコン通信を通じての、 震災情報の入手を行い、 大変有効であった。 一部アマチュア無線を愛好している社員間で、 アマチュア無線による情報収集を行い、 大きな効果をあげた。 (4) 実際の初動対応の総括 ● 全体マニュアルがなかったため、 当然初動マニュアルもない。 まさに手さぐり状態であった。 しかも社屋及びスタジオなどが大きな被害を受け、 余震で更に崩壊が進むという危険な状態の中で、 11人のスタッフの冷静な判断と沈着な行動が、 一旦中断した放送再開とラジオカーによる取材活動のスタートなど、 初動に大きく貢献した。 まず、 役員・社員への非常呼集にいち早く着手したこと。 地震直後、 停電・停波のあと、 放送再開に向けて、 波が出ていることの確認 作業に取り組み、 午前6時から放送再開にこぎつけたこと。 更にマニュアルもなく、 情報も入らない状況ながら社員への情報提供の呼びかけ、 徒歩による近辺への取材など、 可能な限りの手を尽くして初期の放送を支えたこと、 などである。 他局が地震後、 停電状態もなかったのに立ち上がりにもたついたのと比べて、 わが社の場合は最悪の状態でありながら初動に成功したのは、 在社スタッフの適切な判断に負うところが大きい。 あと1時間、 発生が早ければ、 社内のスタッフは泊まり勤務の技術スタッフが1名だけで、 初動は大幅に遅れていたと思われる。 ● 緊急呼び出しにより、 車や徒歩で出社した社員を中心に、 17日正午現在には約40名のスタッフが放送活動に参加している。 これは社の所在地が神戸市の西部にあり、 社員の住所が被害の少なかった北区、 西区、 垂水区以西に多くあったことによる。 ● 一方、 特に被害のひどかった神戸市中心部、 東部、 芦屋、 西宮、 宝塚などの地域の社員との連絡は難航した。 当然のこととして、 災害特別報道体制を組む上で、 人員配置をあらかじめ読むことができなかった。 その結果、 出社できたものから配置につくという緊急体制をとる以外方法がなかった。 ● 外部からの情報としては、 初期の段階では、 共同FAXが頼りであったが、 神戸発のニュースが少なく、 内容的には決して満足できるものではなかった。 ● 各防災機関、 行政、 ライフライン機関などとの連絡が初期は全くとれず、 情報入手が不可能な状態が続いた。 災害時こそ必要な連絡手段・情報提供の取り決めが全くなかったからである。 従って、 当初必要な地震・余震情報、 ライフライン、 火災、 交通などの情報は、 的確に放送できなかった。 こうした情報途絶の段階では、 社員による見聞データが初期のレスキュー報道には欠かせないものであった。 ● 今回、 AM神戸は、 社屋・スタジオに大きな被害を受けた。 幸い、 放送の生命線だけは確保出来ていたため、 放送を継続出来たが、 電波が止まる停波という最悪の状態も十分考えられたことであった。 目次に戻る 【3-A】放送体制について (1) 指揮系統 ● 編成制作局長が午前6時30分、 担当役員が午前7時20分頃出社、 午前7時30分、 震災放送本部を設置した。 この時点では、 まだ災害状況などはほとんど把握できていなかったが、 地震の規模、 社内の様子、 それまでに入っていた断片的情報から大災害であるという認識に立ち、 とりあえず以下の点の確認をした。 ● 午前6時からすでに特別報道体制 (CM・番組カット) に入っていたが、 そのまま継続する。 いつまで特番体制をとるかについては、 その後の状況で判断する。 ● 報道方針としては、 被災地の情報、 特に災害状況、 住民の安否の情報、 さらにライフライン、 交通、 道路情報ほか地震に関するニュースを可能な限り報道することによって被災した人々の不安を解消する。 ● 当面の放送維持のため、 人員の把握につとめる。 ● 取材体制はすでに稼働しているラジオカーに加え、 もう2台を派遣する。 県・市の対応を取材する要員、 県警取材要員の確保につとめる。 更に余裕があれば、 災害地等への取材要員を増やす。 ● 安否情報 (安否を放送することは現場と協議済み) は、 電話受付けのための要員 (社員) が揃う午前8時に放送告知、 受付を開始する。 ● 人員配置は人数が読めないので、 オンエア部門、 取材部門など重要部分に優先配置する。 他セクションにも応援を求める。 ● 他局・リスナーからの問い合わせ、 協力依頼、 苦情処理は本部があたる。 ● 可能な限り自社の放送をモニターし、 適正な形を求めていく。 放送内容については、 担当者を含め合議する。 ● その他の指示 ・地震関連ニュースは正時にまとめる。 (震災報道) ・安心を与え、 不安をあおらぬよう注意する。 (震災報道) ・できるだけわかり易く、 くわしく、 何度も繰り返す。 (震災報道) ・出退勤の時の本部への報告 (対社員) ・安否や各種情報の保存 (対社員) ● 本部系統図 (放送チーム) (取材チーム) 局次長・報道制作部長 (本 部 長) (副本部長) (情報デスク) 担当役員 局 長 (技術チーム) 技術部長 ● 本部の役割 本 部 長 統 括 局 長 外部対応・総合配置 各デスク 放送進行・人員配置 (2) 要員の確保 連絡がとれない社員及び連絡がとれても交通事情等で出社できない社員がおり、 全体として要員の確保は難航した。 必然的に出社できた人間への負担は厳しいものになった。 また、 平均1日10人近いタレント、 外部委託業者が放送活動に、 積極的に参加してくれたため、 社員の不足を補う形となった。 更に、 営業局、 総務局、 関連企業などの社員も放送活動に加わり、 被災各地からのレポートをはじめ、 電話受けなどに活躍した。 放送現場の参集状況 (社 員) (外 部) 〔営業・管理は除く〕 1月17日 地震発生時 3 8 = 11 人 正午頃 23 10 = 33 人 20時頃 18 8 = 26 人 1月18日 8時頃 20 9 = 29 人 正午頃 25 11 = 36 人 20時頃 20 8 = 28 人 1月19日 8時頃 23 9 = 32 人 正午頃 27 10 = 37 人 20時頃 22 8 = 30 人 1月20日 8時頃 17 7 = 24 人 正午頃 30 9 = 39 人 (3) 器材の確保 ● 出先からの放送中継回線は無線と電話しかなく、 無線回線確保のため、 以下の措置をとった。 400MHZ帯ワイドFM本社受信基地の確保 400MHZの受信基地は西から鉢伏山 (須磨浦ロープウエイ山頂)、 本社ビル屋上、 摩耶山頂 (SUN-TV送信所) の3カ所があり通常適時切り替えて使用している。 震災当日、 停電のため摩耶山頂以外の受信基地は使用できなかった。 本社屋上は一般電源を使用していたため停電した。 本社屋上には自家発電源を供給できないため400MHZ受信機をマスターにおろした。 中継用のコーリニアアンテナと同軸ケーブル、 マイクスタンドの大を使い、 ガレージの屋根に受信アンテナを設置した。 150MHZ帯ナロー無線機の音声を放送中継回線に立ち上げる150MHZは本来中継連絡無線として使用していたため、 放送回線には立ち上げていなかった。 アンテナは本社屋上。 本体はマスターに設置していたため使用可能であった。 ● 被災スタジオからの避難 マスターは壁が被害を受けて落ちてしまったが、 各ラック等は幸いにも無傷であった。 しかし、 スタジオが使用不可能なためマスターはそのままにしてオンエアースタジオを移設することになった。 幸いほとんど被害を受けていない本社ビル隣の関連企業が、 PA・レコーディングミキサー養成用に使っていたスタジオが2つありこの一つをオンエアースタジオとした。 このため、 マスター下のホールまで24対音声マルチケーブルをスタジオまで敷設し、 放送回線とした。 臨時オンエアースタジオからのプログラム音声系統 表 先方ハードコピー使用 臨時スタジオ機材の確保 中継用12CHの卓、 4CHミキサーをオンエアー卓とした。 モニタースピーカーは中継用アンプ付きスピーカーを使用。 各機器の接続ケーブル、 フェーダーユニットなどすべて中継用のものを流用した。 テープレコーダー4台、 DCプレーヤー2連1台録音スタジオから持ち出した。 電話ハイブリッド、 切り替え機は旧オンエアースタジオのものを使用した。 24CHマルチケーブル入力素材 放送プログラム ウェーブモニター 摩耶山400MHZ 電話回線 中継用INS 共同INS RFネット放送回線 交通管制センター 子時計用時計パルス マスター監視用ビデオカメラ映像・音声信号 マスター連絡用2WTel 臨時スタジオ設置では中継用機材を所有していたためフルに活用した。 また、 中継機材等のメンテナンスが行き届いていたためすぐに使用できた。 中継等の構築プランニングが日頃から行われていたため難なくこなすことができた。 (4) 人員配置 (配置ベース) 本 社 ニュースデスク 1日2交替 2~3 人 オンエア担当D 3時間交替 1~2 人 〃 AN 〃 2~3 人 情報受け 〃 5~6 人 技 術 1日3交替 1~2 人 (他に機器保守) 現 場 ラジオカー 1系統当たり 3人 × 4系統 県・市災害対策本部 1~2 人 県警警備本部 1~2 人 ポイント取材 不 定 芦屋・西宮災害対策本部 1 人 目次に戻る 【3-B】放送体制の総括 (1) 指揮系統 ● 本部決定の方針を全体に説明し、 それに基づいて全体が動くと いう基本的な面で十分であったとは言えない。 全員が同じ情報を共有して、 ことにあたるという情報の共有化の面での措置、 例えば、 掲示板、 マイクなどの活用が十分でなかった。 ● 本部デスクの役割分担は決めてはいたが、 混乱と様々な対応に追われ、 それぞれの任務があいまいになった。 ● 異常な状況下で報道を続ける局員の士気を高め、 指揮して行くという管理面も十分であったとは言えない。 ● 人員の掌握が難航し、 初めての経験ということもあり、 有効な配置がされなかった。 当然のこととして、 一部の社員への負担が増大した。 ● 放送と並行しての記録、 情報の整理などの指示ができなかった。 ● 取材チームへの指示、 バックアップ、 サポートが不十分だった。 ● 前線部隊への、 食料・水の補給等の援助が後手にまわった。 ● 震災報道を長期的にとらえる視点が不明確で、 体制づくりも十分やれなかった。 (2) 情報デスク 本来、 一番動かねばならないセクションが十分機能しなかった。 デスク員の大半が被災または交通事情で出社不能状態にあったことも一因であった。 震災報道の実働部隊の先頭に立たねばならないが、 いわゆるニュース編集の域を出なかった。 日常的な情報デスクのまとまり、 緊急対応体制の不十分さが露見したといえる。 (3) 放送体制 ● 人員不足から一人ひとりの負担が大きかった。 特番体制をいつまで継続するべきかということが不明確であったため、 各自が自分の行動のスケジュール化をできなかった。 ディレクターはともかく、 しゃべり手は常に不足し、 特に深夜・早朝の配置は難航した。 ● 電話 (安否・生活情報) 受けの要員の確保も十分ではなかったが、 役員・営業局・総務局・関連企業・タレント諸氏・外注業者諸氏が積極的に応援体制に入り、 何とか継続することができた。 しかし、 電話の総量から推察すれば、 相当数がかけてもかからない状態であったと考えられる。 アナウンサー、 ミキサーADの面では、 早朝番組のタレント、 ミキサー (外部委託)、 AD諸氏の献身的な支援が大きな力となった。 (4) 取材体制 ● ラジオカーは総じて記者、 技術者、 運転手というセットが固定化され、 個人的負担が大きかった。 レポートのできる記者不足も表面化した。 ● 県・市災害対策本部への記者派遣は一応行ったが、 他社のような貼りつけ状態とは程遠かった。 ● 県警警備本部には一応常駐体制をしき、 特に死亡者名簿は新聞より早くということから、 最初の一週間は完全放送した。 ● 防災機関、 ライフライン機関へはほとんど記者派遣はできず、 積極取材はできなかった。 ● この他、 被災地の取材は、 POPで、 あるいはマイカー、 徒歩で、 なかば自発的に行われた。 外注業者、 タレント諸氏は取材面でも大きな力となった。 (5) 技術的側面 ● ラックは耐震措置をしていたので、 放送の基本ラインは無事だったが、 ロッカー等が倒れて機材が散乱、 破損し、 中継準備に手間取った。 ● 自家発電設備がある安心感はあったが、 今回のような長時間停電は想定していなかった。 ● 燃料の供給不足、 停電で、 本社屋上の400メガ受信機が使用できなかった。 ガレージの電動シャッターが開かず、 中継車を出せないなどの事態となった。 ● 上階住宅の水道管が破裂し、 スタジオ副調に水漏れがするという予想外のこともおこった。 (6) 全体として ● 全体としてバックアップ体制が整わぬ過酷な条件下で、 本社・取材先ともに 全員が奮闘した。 ● 日頃の備えがない中で大災害でのラジオの役割の認識、 被災者への思いは暗黙のうちに一致していった。 ● 結果として放送に統一感が生まれ、 災害時のラジオとしての使命を果たすことができた。 ● 人員不足から取材面も最少限の域を出なかったこと、 指揮・命令系統の不徹底、 情報の送り出し、 編集の不完全さ、 記者不足など反省・課題は多いが、 マスコミの人間という自覚にたって、 現場のみならず、 他セクションの社員も放送活動に積極参加し、 文字通り社あげて取り組んだ震災報道と言える。 現場に限って言えば、 いわゆる報道記者-キャリアのある-が不足しており、 まして大災害に対してほとんどの人間が未体験の中で、 ベテラン社員の活躍が特筆される。 ● とりわけ、 初動での対応、 ラジオカー取材、 技術部の対応などで威力を発揮するとともに放送構築の面でもその意志が反映された。 ● 一方で、 初の体験とはいえ、 若手社員が自然に報道体制に組み込まれた結果、 実質的報道体験で大きく成長し、 その後の仕事への意欲へはねかえる効果も生んでいる。 ● 69時間ないし震災後2週間位は張り詰めた状態で放送を維持してきたが、 社屋脱出後しばらくして疲労と要員不足から息切れ状態となった。 ● 2月半ばから震災を息長く伝えるための体制づくりに入り 『震災情報ステーション』をスタートさせるなど再構築を図ったが、 内部の温度差の拡がりは阻止できなかった。 ● 震災報道にたずさわる者と全く関係のない者がはっきり分かれだしたのは今後の大きな課題と言えよう。 ● 被災地のラジオとして、 地域の期待に、 一定応えることが出来たが、 今後、 あらたな視点で地域のための息の長い報道をする体制の整備と番組づくりを進める必要がある。 基本的には、 4月に発足した情報センター中心の再構築となることは言うまでもない。 目次に戻る 【4-A】放送内容、 情報について (1) 災害後の放送方針 地域ラジオの使命は、 被災地の情報、 特に災害状況、 住民の安否の状況、 さらに生活情報を可能な限り克明に報道することである。 それによって、 その使命は果たせると考えた。 (2) 災害後の番組構成 放送は、 地震直後午前5時46分に中断、 その後6時の時報とともに再開され、 1月20日午前3時までの69時間、 CM無しの震災報道を続けた。 20日午前5時の放送開始から基本的にレギュラー枠で、 またCMも復活させたが、 内容はワイド番組を中心に殆ど震災情報一色になり、 CMもスポンサーの辞退で通常の1/3程度に減少する。 21日 (土)、 22日 (日) も中央競馬実況中継が中止になり、 それに代わって震災情報を放送するなど内容変更が相次いだ。 通常の番組編成に戻るのは28日 (土) に中央競馬中継が再開されてからになる。 それ以後も各ワイド番組は震災関係の情報が中心になって構成された。 そして、 被災地の変化に対応して、 放送内容も災害報道から徐々に生活情報に重点を移していった。 (3) 震災特別放送の内容 放送面では、 午前5時30分からの早朝ナマ番組 『おはようラジオ朝一番』の放送中、 午前5時46分に地震発生。 同時に停電し音声が中断した。 在社スタッフの努力で放送を再開したのは午前6時であった。 (音声中断13分05秒) 第一声は谷五郎モーニングのパートナー藤原正美であった。 再開当初、 情報が極端に不足したが、 社員からの電話による情報や社にかけつけた社員のレポートなどでそれを補った。 地震情報が最初に放送されたのは、 午前6時12分だった。 しかしこの時点では神戸の震度は発表されていなかった。 神戸の震度6 (後に7に訂正) が放送されたのは、 午前6時35分だった。 午前6時40分頃に1台、 7時すぎ、 さらにもう1台のラジオカーが出動し、 被災状況のレポートを、 須磨、 垂水、 長田、 兵庫、 元町、 三ノ宮、 東灘、 芦屋、 西宮などの被災地からレポートした。 特に長田の火災現場、 三ノ宮交差点付近のビル倒壊現場、 住吉川市営住宅倒壊現場、 国道43号線深江付近での阪神高速高架橋の落下現場、 国道171号線門戸陸橋落下現場などにいち早く入り、 ナマレポートを送った。 社内の着信専用電話 (078-733-0123) 7台を使って震災ホットラインを開設し、 午前8時から安否情報などリスナー情報の受付を始め、 30分後には電話が殺到するようになった。 放送はこうした災害情報と安否情報などリスナー情報を軸に構成した。 震災特別放送としては、 17日午前6時から20日午前3時まで連続69時間、 コマーシャル及び、 全てのレギュラー番組をカットして続けた。 (4) 放送された情報の種類と入手径路 震災関連ニュース (地震、 余震情報を含む) (共同通信 他) 災害地レポート (ラジオカー、 社員レポート) 安否情報 (リスナー) 行政情報 (被災者向け生活情報) (県・市対策本部) 被害まとめ (県警警備本部) 死亡者リスト (県警警備本部) ライフライン情報 (共同、 各社 県、 市) 交通・道路情報 (共同、 県警) 救援情報 (生活) (リスナー) 学校・企業情報 (各組織・企業) 以上のような情報が放送されたが、 前にも述べたように主軸はラジオカーからの災害地レポート、 そして安否情報などリスナーからの情報だった。 特に18日早朝から安否情報とともに避難所での暮らしに必要な水や食料などを求める電話とそれに答える情報がホットラインに寄せられ、 放送がまるで情報の広場のようになった。 この間に放送した安否情報、 生活情報は約3万件 またラジオカーからのレポートは約50回。 (5) リスナー情報の種類 ● 安否情報 肉親・知人の安否を知りたいとのメッセージ 『私は無事、 ○○さん安否を知らせて』との情報 ● 二次災害情報 ガスもれ、 火災などの情報 特にガスもれ情報は17日夕方から夜にかけて多かった。 ● 救助を求む情報 『食料がない』『水が足りない』などの情報から 『人工透析の病院を知らせて』『お産のできる病院はないか』 『隣りの家が倒れそうなので取り壊して欲しい』など。 ● 救援情報 基本的に救助を求める情報に対する回答情報 『風呂』『炊き出し』『住居』『ビニールシート』『洗髪サービス』等の提供情報 ● 生活相談 罹災による行政手続き、 法律相談、 仮設住宅に関する問い合わせ、 ガレキ処理などの相談 (6) 行政からの情報提供、 放送要請 69時間の特番中には具体的な情報提供はほとんどなく、 災害対策本部での自社取材を行うしか方法はなかった。 それ以降は、 兵庫県から災害時の協定に基づいて災害情報を毎日2回 (1回3分) 放送したいとの要請があり、 1月21日 (土) ~3月末で実施した。 また2月17日の震災1ヶ月には正午の県民一斉黙とうの行事に告知などの面で協力を依頼され実施した。 神戸市からも災害本部情報の放送依頼があり、 毎日1回 (月~金5分) 1月30日 (月) ~3月末まで実施した。 (7) 他局との連携や作業分担 安否情報については、 和歌山放送、 KBS京都、 西日本放送の3社からの要請で、 1月20日から毎日3分枠を各局に提供し、 各社のアナウンサーの読みとして放送した。 また緊急に依頼のあったニッポン放送、 RFラジオ日本、 文化放送には電話レポートを数回行った。 ニッポン放送が、 自局でリスナーから集めたラジオの提供を受け、 1,500台分をAM神戸が仲だちして市の災害対策本部へ渡した。 この際、 ニッポン放送と同時放送した。 さらに、 震災半年目にあたる7月17日 (月) には、 特別番組 『地元マスコミは何を伝えたか、 何を伝えられなかったか』を2時間40分にわたって放送した。 この番組は、 地元のNHK神戸放送局、 サンテレビ、 KissFM、 神戸新聞社の震災報道担当者を招いて、 ナマ放送で、 半年間の震災報道を検証した。 目次に戻る 【4-B】放送内容・情報の総括 (1) 放送方針と姿勢 放送再開直後から、 とにかく目前の被災者のために救援をという思いは 自然に社員全員に浸透していった。 大混乱の中で、 十分な方針確認は行われなかったが、 大災害でのラジオの役割、 被災者への思いは暗黙のうちに一致をみた。 本社・取材先とともに地元局意識と自らも被災者という立場から被災者の目線での報道ができたと評価できる。 結果として放送に統一感が生まれ、 災害時での地域ラジオの使命を果たしたと言える。 また、 全員が気負わず、 終始冷静に放送活動を行い、 不安を与えることなく必要なことをキチンと伝えるという基本を守り抜き信頼感を得た。 (2) 放送内容・情報の点検 ■ ラジオカー ● 他メディアに先がけていち早く被災地に入り、 震災直後の混乱を極めた被災現場を巡って、 当日だけでも約50回の災害レポートを行った。 本社~長田・兵庫~垂水・須磨~兵庫・中央・灘・東灘~芦屋~西宮~三宮という、 震災当日の、 その行動範囲の広さ (約73■+12■+24■+11■) と、 データ重視で行われたそのレスキューレポートの克明かつ正確さは、 今回の震災報道の中でも特筆される。 ● テレビ各局がヘリコプターによる空からのリポートであったのに対し、 被災者の目線に重点をおいた、 地上からのリポートとしては一番早いリポートとなった。 ● 初期には、 他の在阪ラジオ局が大半、 西宮までしか入れなかったこともあり、 克明な災害状況のリポートは被災者の救命・救援に大きな力となった。 ● 安否情報などホットラインに寄せられたリスナー情報を受けて的確に被災地に入り、 災害状況のみならず、 被災者のかかえるさまざまな問題を明らかにするとともに、 安否情報や救援物資を託されるなど放送と被災地を結ぶ動くサテライトの役割も果たした。 ● 特別放送以後もラジオカーチームの体制を継続し、 3月末まで、 避難所を中心に連日取材活動を行い、 救援活動の遅れやボランティア問題、 倒壊家屋に関わる問題、 仮設住宅の問題、 区画整理、 都市計画の諸問題などを報告し、 行政と被災者とをつなぐ存在となった。 ● ただ、 人員不足からラジオカーチームは、 特別放送以後は殆ど一系統にとどまり最小規模を維持するのが精一杯であった。 ● 被災現場からレスキュー情報を発信し続けたデータ中心のラジオカーのリポートは高い評価を得た。 ■ ホットライン情報 (リスナー情報) 今回のAM神戸の震災報道の主軸のひとつには、 ラジオカーとともに被災地 (被災者) と局を結ぶホットラインの開設が挙げられる。 安否情報をはじめ、 地域リスナーからの通報、 生活情報など救援を求める情報とそれに答える情報がこのホットラインに大量に寄せられ、 放送全体の主要部分を占めた。 行政の救援活動の立ち遅れの中、 このホットライン情報は極めて重要なものであり、 すべての情報を超越したものであった。 地域ラジオとして率先して取り上げ地域の人々も巻き込んだ救援放送 (活動) となった。 特番以降もホットラインは、 被災者と局をつなぐ形で生き続け、 AM神戸にとって、 一方の情報源になり、 放送の支えとなった。 ● 安否情報 すべてのマスメディアの中で最も早く安否情報を放送し、 一番知りたい肉親・知人の安否を明らかにすることによって、 被災者に自分達の思いを代弁してくれる放送局であるというイメージを作り上げた。 このことにより、 地域の信頼を得、 多くのリスナー情報を呼び寄せ、 ラジオコミュニティ作りの原動力となった。 ● 安否情報についての考察 今回の体験から緊急時に、 被災地の人だけでなく、 全ての人がまず行うことは、 肉親・知人の安否確認をすることであることが鮮明になった。 AM神戸の場合、 当時の情況から極めて自然に安否情報に着手したが、 客観情報が少ない中で 『電話がつながらない。 何とかしてほしい』という地域の人からの要請に応える形となった。 安否情報は情報というより、 存在のデータともいうべきもので、 パーソナルデータの最たるもの。 日常放送では絶対に放送されない性格のものである。 AM神戸の放送では、 災害レポートや関連ニュースを除けば、 最初の3日間は、 この安否情報が大半を占めた。 このようなデータを羅列することの実効性については、 疑問視する向きもあるが、 多くの人がAM神戸に電話を寄せ、 何とか安否をと耳をかたむけていたことは容易に想像でき、 判明率もかなり高いものであったといえる。 事実、 多くの人から、 お陰で連絡がついたという連絡をもらっている。 ● 一方、 電話の発着信規制の中で、 膨大な電話が集中することから安否情報には批判もある。 特に安否情報が自分の無事を知らせる以外に、 相手に安否を知らせてと呼びかけるスタイルになることから、 安否ではなく 『無事情報』にすべきだという論もあり、 ABCのように、 これを実施した局もあった。 当時の被災者心理から見れば、 肉親・知人の安否を一刻も早く確かめたいという強いニーズがあり、 それを取り上げる局があることは地域の人の大きな支えになったと考えられる。 今後このニーズにメディアがどのような形で応えていくのか、 システム上の問題があれば、 それをどう克服するのか、 広範な論議と研究が必要である。 ● 安否情報決定の経緯 他 17日朝、 午前6時30分過ぎ、 編成制作局長が出社した際、 現場記者から安否情報をすべきとの意見が出た。 局長自身、 昨年秋頃から、 AM神戸の災害放送マニュアルを見直さねばという論議を管理部門や編成制作局デスクなどとした際、 災害時のラジオの役割のひとつとして、 他社の経験から安否情報が有用なものだとの認識を持っていた。 当日朝、 出社途中にもそのことを考えていたので、 直ちに現場記者の意見に同意した。 しかし、 電話のスタンバイ状況や、 受け付け要員の出社が把握できていなかったため、 電話の稼働確認と受付要員が揃ったところで始めることを伝えた。 これより先、 現場記者と現場ディレクターの間で、 安否必要との協議がなされていた。 その背景には現場記者が昨年、 報道フォーラムに参加した際、 南日本放送の体験を聞き、 災害時のラジオとして安否情報の放送が有効であるという強い認識を持っていたからである。 7時30分頃、 出社した担当役員に図ったところ、 役員自身も同様の意見を持っていたため方針として決定、 受付の揃った午前8時を期して募集告知を行った。 募集の際、 『まず自分の無事を言って下さい。 できるだけ簡潔にメッセージをまとめて下さい。 できるだけ多くの人の安否を放送するために、 ご協力下さい。』 との告知を入れた。 ■ その他のリスナー情報 ● 安否情報とともに、 17日夕方から一時集中した、 火災発生、 ガスもれの通報などの2次災害情報をきっかけに 『水・食料』などを求める情報がホットラインに寄せられた。 その情報は、 今必要なもの、 生きるために不可欠なものを鮮明に反映する形で寄せられた。 行政の災害対策、 救援が遅れていることとあわせ、 相談窓口が機能していないことを物語っていた。 AM神戸がこの種の情報を積極的にとりあげ放送したのはこうした理由による。 この放送によって、 被災した人々のSOSを発信し、 行政に伝えるとともに、 地域の人々、 ボランティア、 近隣の地区にも救援を求める結果をもたらした。 この放送を聞いた人達は、 AM神戸に救援情報を提供したり自ら救援活動に動いた。 AM神戸はこうした情報の中継基地であるとともに救援放送局となった。 別の言い方をすれば、 今回のAM神戸の震災報道を支えたのは、 被災者を含む地域の人々であったといえよう。 ● 安否情報を含めたリスナーからの情報がAM神戸の69時間の放送では主流を占めたが、 これらは再三述べるようにいずれも非常にパーソナルな情報で、 本来マスメディアがとりあげるものでないかも知れない。 しかしあの大災害時の放送では、 この個人情報を取り上げることが重要であると判断した。 特にラジオは、 大混乱の中で 『必要な情報はどんな細かいことでも放送する』 『リスナーが希望するならどんなことでも放送局に電話を』という局側の姿勢をしっかり見せることが極めて重要だと考えた。 ■ 行政情報 ● 少なくとも発生直後から3日間は、 行政情報は有効なものは なかった。 状況把握、 体制づくりそのものが遅れていた。 2日目、 知事・市長へトップ緊急会見を行ったが、 安心を与えるものは出なかった。 局側もそうした背景もあって、 行政取材は積極的には行わなかったのも事実である。 ● 震災後5日目から災害協定に基づいた放送が始まったが、 被災者のニーズにしっくりした情報を得るには時間がかかった。 本来、 被災者からの様々な情報に応えるには、 それに基づいて行政 (対策本部) で取材して、 送り出すべきであるが、 当時はそれを行う相手がない状況であった。 ■ ライフライン情報 発生直後は、 各機関からの積極的な情報提供はなかった。 水道・電気・ガス・電話などすべてがストップ状態の中で情報の出しようがないというのが現状であった。 しばらくしてそれぞれの復旧見通しなどの情報や、 ガス・電気のように2次災害防止の注意はそれぞれの機関から提供があり、 有用な情報となったが、 復旧見通しは満足できる形ではなかった。 ■ 余震・地震情報 被災者がもっとも知りたい情報に、 この種の情報があげられるが、 不安を取り除く形での情報は得られなかった。 また、 現実の問題として不可能だったとも言える状況であった。 (3) 情報の入手と出し方 主な入手経路は前述した。 視点を変えて分類すると、 1) 自社取材 ラジオカー2台による被災地レポート。 社員情報。 車・徒歩による災害地レポート。 2) 共同通信社 地震情報、 政府の対策など関連ニューが主であったが、 当初は東京・大阪からの情報が中心で、 当初は唯一のニュース源だったが、 17日午後から18日夕方までNTTの回線トラブルで配信が途絶した。 3) 県警災害警備本部 被害状況のまとめ、 身元が判明した死亡者の名前など。 (記者アナを派遣) 4) 県・市災害対策本部 被災者向け生活情報など (記者アナ派遣) 5) リスナーからの情報 安否・生活情報など7台の電話で24時間体制で情報を受ける。 6) ライフライン 企業・学校・各組織からのファックス入電情報 ● 発生直後数日間の自社取材については、 データ中心のレポートとなり、 大きな成果をあげたが、 被災者の生の声をもっと電波にのせるべきだという意見もあった。 ● 地震関連ニュース、 地震情報は共同に依存せざるを得なかったが、 関連ものが多く、 一番欲しい被災地ニュースが少なかった。 また途中、 回線トラブルもあり、 ニュース源が不足した。 ニュースネットワークへの参入などの再検討が必要である。 ● 安否の一環として放送した死亡者名簿は、 時間もかかり人員配置も大変だったが一定の評価はできる。 ● 震災2日目二は、 知事・市長への緊急インタビューを行ったが、 行政の立ち遅れを明らかにする結果となった。 人員不足もあり、 行政への常駐体制も最後までとれなかった。 行政サイドからの積極的情報提供は、 少なくとも1月20日まではなかった。 ● リスナー情報については再三述べた通り、 大きな成果と反響を呼んだが、 安否情報の前にリスナーからの災害情報がもらえたのではないかという声もある。 また、 多くの情報を次々と放送したが、 情報内容、 地域ごとの分類など被災者が聞きやすい形をとる余裕がなかった。 情報の送り出しの手法、 編集の仕方は今後の重要な研究課題である。 ● また、 放送した情報・データを即座に正確にデータ化していくことが求められる。 それによって、 データの分析・再利用・提供が可能になる。 ● また、 情報の分類の面では、 リスナーからの問い合わせに対応できるよう な形での分類と保存が必要である。 ● 更にリスナー情報については、 電波による仲介を基本線とした。 AM神戸が相手を指定してあっせんする方法はとらなかった。 個人の状況への深入りを避ける意味もあったが、 予想以上に要請が多く、 できるだけ多く、 できるだけ早くということを第一義にしたためでもあった。 結果として市民ネットワークが生まれたと思われる。 ● 個人情報の裏どりの問題を指摘する向きも多いが、 当時の状況は一部の例外を除いて大きな問題とはならなかった。 しかし、 情報を扱う側の人間として、 入手した情報を確認、 整理、 フォローする必要は厳然としてある。 当時は、 それができない状況だったと片付けてはならない。 目次に戻る 【5】地域と震災報道 ● 今回の震災に際して行政の救援対策の立ち遅れと不備、 的確な広報体制の遅れが指摘されているなかで地元ラジオ局としてAM神戸が地域に果たした役割は大きい。 地震発生後の停電と長時間の電話の不通、 発着信規制下で、 直後から被災地へ向けての救命・救援放送をCM、 全番組をカットして連続69時間続け、 被災地域の人々のよりどころとなった。 ● 具体的には ホットラインに寄せられた安否情報をはじめ、 災害地域の人々の細かな救援を求める個人情報を電波にのせた。 多くの人々が消息不明の肉親・知人の安否を知りたいという、 一番強いニーズに答えた。 ● 行政の立ち遅れのなかで、 個人情報の中継基地の役割を果たし、 地域ぐるみの救援ネットワーク体制を作った。 本来、 行政が行うべき情報提供の役割と相談窓口の役割を担ったと言える。 ● ラジオカーなどの積極取材によって、 被災地域の現況を地元ならではの克明さと被災者の心情に合った形で明らかにするとともに、 地域の人々の要望、 声を代弁し問題提起した。 それによって、 具体的な救援を地域はもちろん、 行政、 ボランティア、 近隣地区へ要請し、 救援活動につないでいった。 ● 放送を通じて一貫して被災者と同じ目線を保ち、 被災者と気持ちを共有する放送局というイメージを作り上げた。 自らも被災局であるということが地域の信頼を得、 被災者と被災者、 市民と市民、 リスナーとリスナーを結ぶ救援ネットワークを形成する市民ラジオとしての役割を果たす結果となった。 ● 安否情報をはじめ、 ラジオカーのリポートなど、 放送にたずさわる全員の気持ちが、 『被災者を救い、 不安を解消したい』という思いで一致していった。 興奮せず、 必要なことをキチンと伝えることによって、 不安をあおることなく、 安心報道という基本を自然に作り上げた。 ● 69時間を全うした以後、 各番組では震災中心の報道や2月半ばから新番組 『震災情報ステーション』をスタートさせ、 震災フォローを行った。 しかし、 レギュラーの復活もあり、 人員不足から取材面での縮小を余儀なくされた。 結果、 取材範囲が狭くなり地域のニーズ、 期待には必ずしも答えられなかった。 直後の放送で地域の人々の期待に答え、 信頼を得ただけに、 その後のフォローの面で、 取材力の限界とはいえ、 物量に優る在阪局などに差をつけられたのは残念である。 ● 国際都市神戸という視点から見れば、 外国人向けの情報提供はほとんどできず、 KISS FMにその役を譲ることになった。 ● また高齢者や身体障害者などへのフォローは十分でなかった。 ● 被災地の住民に対する情報に地域格差が生じた。 これは、 取材陣の少なさ、 情報量の濃淡などが原因である。 目次に戻る 【6】メディアとしての視点 ● 昨年秋、 愛称をAM神戸として再スタートしたが、 今回の震災報道によって、 『AM神戸』の名前を地域のみならず全国的に浸透させた。 ● 今回のように、 想像を越えた災害の場合、 被害状況を理解してもらうには音声メディアには限界があり、 その役は映像メディアのテレビや写真にゆずらざるを得ない。 しかし、 被災者の安否を求めたり被災者の暮らしに役立つ身近な生活情報の発信にはラジオが最適であり、 停電が長引いた状況とあいまって、 災害時のメディアとして、 ラジオは欠くことができない存在であることを実証した。 そうした立場からの今回の報道について多方面から評価と激励の声が寄せられた。 ● 情報化、 マルチメディアの時代といわれるなかで、 今回の震災では、 その基幹とも言うべき電話など通信手段が無能ぶりを露呈したのは皮肉であった。 兵庫衛星通信ネットワークも電源の故障が原因で使用不能となった。 AM神戸は2台のラジオカーと電話だけという正に家内工業的な放送手段しか持たなかったが、 被災者に肉薄した手作りの人間的な放送を行い、 あの大震災で力を発揮した。 被災者を思いやる温かい心を込めた放送が、 地域の支持を得たことをかみしめ、 今後もリスナーを巻き込んだぬくもりのあるメディアとしての道を歩むべきである。 ● 多くのメディアとの比較の中でも、 AM神戸は単に被災局ということだけでなく、 その放送は評価された。 多くの新しいメディアが出現する中で、 40数年永々として築き上げてきた様々なラジオ手法が土台のしっかりしたものであることを改めて見直したい。 いわゆるベテラン記者、 ディレクター、 アナウンサー、 技術者が今回のAM神戸の震災報道の主役であり、 その見識が評価につながったと言うべきである。 しかし、 組織的に十分機能したとは言えない。 ここにAM神戸の弱点がある。 時間をかけて、 この人達のノウハウを組織の中に生かしていくことが求められている。 幸い、 今回の報道では多くの若手社員が参画し、 大きな力となった。 地域をきちんと把握し、 問題意識を持ち、 提起できる社員を育てて、 組織として厚みを持つところに発展の道があると考える。 ● 今回、 AM神戸が多くの犠牲をはらって行った災害報道の成果と教訓を一局、 一地域の問題にとどめず、 AMラジオ局全体に生かすことが重要と考える。 目次に戻る 【7】編成・営業面からの報告と総括 (1) 編成業務について 放送は、 地震直後午前5時46分に中断、 6時の時報とともに震災特別番組として、 CM抜きで再開された。 この震災番組は、 被災直後に設置された震災放送本部と営業局との判断で、 1月20日午前3時までの69時間、 CM抜きでの放送となった。 CM及び通常番組の復帰時期が、 20日午前5時00分の放送開始からと決まったのは19日の夕方であった。 ■ 業務について ログ (番組進行表) を作成する作業は、 平常時なら伝票に沿って作成される。 しかし、 ファックス、 電話回線の発着信規制といった状況のもと、 ● レギュラ-番組の一部復帰、 休止 ● レギュラ-CMの復帰、 休止 ● 新規CMの挿入 (完全パッケ-ジと生CM、 CM録音) こうした要望が、 営業各支社から集中したが、 意思の疎通をかき、 カットすべきCMが流れるといった混乱もあった。 また部員の全員出社が困難であった為、 生CMについては時間取り・番組手配など編成業務部では対応できず、 営業推進部の助けを借りて急場を凌ぎ、 この状態は2月末まで続いた。 ■ 編成について 震災関連番組は2月からスタ-ト。 4月の番組改編時には、 『防災インフォメーションがんばれ神戸』(月~金 午前7時20~同23分) 『震災情報ステーション』(月~木、 午後0時10分~同28分) 『よみがえれ神戸』(土、 正午~一時) をスタ-トさせた。 (2) 営業活動について 本社営業部のテリトリ-は、 東は尼崎市、 西は明石市、 北は氷上郡、 南は徳島県鳴門市と広範囲に渡っているが、 広告主の85%は神戸市内に集中している。 姫路、 大阪、 東京各支社は、 建物など損傷なし。 1月18日 ・本社営業局を、 被災した神戸新聞会館から須磨区の本社内に一時移転。 1月19日 ・出社できた部員で広告主・代理店の安否の確認。 同時にCMの一方的カットに対するお断りの申し入れ。 加入電話は発着信不能も、 東京、 大阪、 姫路を結ぶ専用線は奇跡的に無事。 以降、 本社営業局がハ-バ-ランドに移転するまでの約1週間広告代理店との連絡は、 各支社が中継。 表 先方ハードコピー使用 1月25日 ・営業推進部を除き、 本社営業局は神戸ハ-バ-ランドのダイヤニッセイビル14階に再移転。 3月1日 ・営業推進部もダイヤニッセイビルに主業務を移す。 ● 営業売上げ CM・レギュラ-番組への復帰は1月20日午前5時からであったが、 代理店、 広告主からの指示は 『連絡あるまで、 休止』が多く、 本社営業局、 各支社とも減額を余儀なくされた。 電波料、 制作費合算の減額は、 1月から3月まで、 営業局全体で5000万円を越える数字となっている。 3月後半からは、 復帰してくる広告主も増え、 6月末現在、 本社営業部は、 タイムスポット共70%台まで回復している。 一方、 震災広報スポットは、 1~3月の期間に全社合せて約1億2000万円の出稿があった。 しかし、 4月以降の営業収益は、 本社営業局に限れば、 例年実施しているイベント・事業が自粛ムードで、 依然厳しい状況にある。 目次に戻る 【8】管理面 (バックアップ) からの総括 (1) 地震発生時の状況 (前述の通り) (2) 地震発生後の指揮系統 ■ 特別災害放送本部設置 (前述の通り) ■ 災害対策本部設置 1月18日全役員が揃い、 緊急役員会開催。 社長を本部長とする災害対策本部設置。 1) 社員の安否ならびに家屋の被災状況の掌握。 2) 社屋及び関連施設の被災状況の点検依頼。 3) 災害放送の期間の設定。 (1/17 AM 6:00~1/20 AM 3:00 連続69時間) 4) 社員の身の安全確保及び放送継続のための緊急対策の検討。 5) 全壊した神戸営業局の事務所対策。 6) 災害義援金受付口座 (さくら銀行) の開設と放送で募金の呼びかけを決定。 7) 被災社員への見舞金、 臨時貸付金などについて決定。 ■ 緊急避難対策 1) スタジオ・事務所の本社屋からの緊急避難。 本社ビルは建設会社の診断の結果、 余震次第では危険な状況との判断で、 本社屋東側にある当社所有の4階建てテナントビルにオンエアースタジオ及び災害報道本部、 本社機能を移すことを決定。 1月22日~23日引っ越しを実施し、 1月24日より仮スタジオから放送を始める。 2) 鉄骨プレハブのシェルタースタジオ及びプレハブの仮事務所の建設。 社屋の被災状況の掌握、 危険度の確認を行うが、 補修のメドが立たず、 長期化する可能性が出てきたため、 上記の緊急避難対策と並行して、 当社所有の有料駐車場の一部に、 鉄骨プレハブのシェルタースタジオ及びラジオマスター1棟及び2階建てプレハブ事務所1棟の建設を役員会決定し、 1月19日広島の業者に発注。 シェルタースタジオ‥‥1月25日工事着工、 2月3日完成し、 5日には機材を移設したが、 スタジオの遮音が不完全のため、 防音追加工事を行い、 3月1日より放送開始。 (シェルタースタジオ117と名付ける) プレハブ仮事務所‥‥‥2月8日工事着工、 2月20日完成。 23~24日引越を行い、 本社機能を移す。 (3) 社員の被害状況 地震後、 直ちに総務より全社員の自宅へ電話による安否の問い合わせを行うが、 電話回線の不通や被災して避難所へ避難した社員がいて連絡が取れず、 全員の安否、 家屋の被害状況が確認できたのは約1週間後であった。 ● 人的被害状況 本社社員 役員4名および出向社員12名を含む当社社員98名、 常勤アルバイトは死亡、 重傷もなく全員無事。 家屋の倒壊や家財の倒れで怪我人は数名いるが、 いずれも軽傷で家族も無事。 関連会社 関連2社には役員3名、 社員12名がいるが、 死亡もなく全員無事。 ● 社員の家屋被災状況 (持家、 借家含む) 全 壊 8人 半 壊 10人 一部損傷 約30人 (4) 建造物・設備の被害状況 ● 本社々屋 (罹災証明書では全壊) 本社演奏所のある当社ビルは、 住宅都市整備公団と区分所有のビルで、 1~2階に当社演奏所および事務所・ホールがあり、 3~12階が公団の市街地住宅となっている。 地震による被害は深刻で、 ビルの支柱や外壁に亀裂が走り、 特にスタジオ・事務所のある2階はかなりのダメージを受け、 非常に危険な状態となった。 スタジオを囲む壁面は、 コンクリートが大きくめくれたり、 倒壊し、 曲がった鉄骨・鉄筋がむきだしの状態。 10■近いスタジオの防音ガラスは各所で割れ、 レコード棚、 書類ロッカーが倒れ、 また、 正面玄関ロータリーや駐車場、 建物周辺の路面は陥没し、 悲惨な状況となった。 3階以上の公団住民には1月18日に避難勧告、 1月23日には退去命令が出された。 1月19日、 当社でも、 社員の身の安全確保と放送業務遂行のため、 前記の通り、 テナントビルへの緊急避難と駐車場内に仮スタジオ及び仮事務所の建設を役員会決定し、 業者に発注。 2月末には全ての移転が完了し、 3月1日より仮設スタジオから放送を始めた。 ● 神戸営業局事務所 (罹災証明書では全壊) 神戸営業局事務所は昨年10月にJR三宮駅西口の交通センタービルから、 同じ三宮駅中央口南の一等地にある神戸新聞会館へ移転したところだが、 両ビルとも今回の地震で壊滅的な被害を受け、 神戸新聞会館は取壊しが決まった。 このため、 神戸新聞社本体もハーバーランド内の日生ダイヤビルに移転が決まり、 当社営業局も関連企業として同ビル内に入ることになり、 1月25日移転完了。 同日より営業活動を再開した。 ● 淡路送信所 (一部損壊) 当社の送信所は淡路島北端の津名郡淡路町岩屋にあったが、 平成9年完成予定の明石海峡大橋による送信障害のため、 送信所を同じ津名郡東浦町に移転することになり、 昨年2月に新送信所建設工事に着工。 11月に完成し、 11月23日から新送信所に切り替えて本放送を開始しており、 震源地に最も近く位置しながら、 わが国初の自立式アンテナ2基、 送信局舎、 送信機器とも新しいこともあって、 無傷で被害なし。 ただ、 液状化現象の影響で敷地内の地面が一部陥没、 アンテナ周辺のフェンスが損傷を受けたが、 不幸中の幸いというか、 旧送信所の支線式アンテナ及び局舎は切り替え後ただちに解体撤去したため、 アンテナ倒壊などによる付近民家への2次災害は免れた。 (5) 社員の勤務状況など ■ 出勤・通勤状況 1月17日~18日は地震発生時に社内にいた社員 (11名) の他、 非常呼集で出勤した者ならびに比較的被害の少なかった市内の社員 (約30名) が出勤し災害放送にあたる。 また、 出社できない者は自宅近辺の被災状況や避難所の状況、 また地元自治体や警察、 消防署で取材した情報を電話でリポートする。 地震発生後、 JR新幹線、 在来線、 阪急、 阪神、 神戸電鉄、 山陽電車など全ての交通機関が完全ストップ。 また、 阪神高速道路高架橋の倒壊、 国道、 一般道路の陥没や、 ビル、 家屋の倒壊による道路閉鎖で、 道路事情、 交通事情が極端に悪化し、 マイカー通勤が困難な状況となる。 西は明石、 東は尼崎、 西宮からバイク、 自転車、 徒歩通勤など各々が個人で対応した。 大阪在住の社員の中には、 船で淡路島経由でかけつけた者もいる。 JRは西から徐々に復旧回復し、 1月23には西明石~須磨間が開通。 1月25日にはJR芦屋~三宮間で代替バスが運行開始。 また、 1月27日からは東灘区青木まで阪神電車が復旧した。 地震発生以降、 社員の足の確保が最も困難で、 1月23日以降は10人乗りの社用車を毎日2往復、 三宮~本社間に、 また2月1日からは阪神青木~本社間に送迎バスを走らせて対応した。 ■ 勤務状況 1月23日以降、 JR西明石~須磨間の開通に伴い、 西方向に在住の社員は出勤可能となるが、 鉄道の復旧は長期化する見通しで、 特に東から通勤している者は毎日出社が困難なため、 1度出社すると2~3日会社に泊り込み、 次の社員と交代して連休を取るなどの臨時の勤務ダイヤを組むように社内に指示を出す。 営業部員は神戸営業局事務所が立入禁止のため、 本社や通勤可能な大阪、 姫路支社などに出社し、 スポンサー、 代理店との連絡や、 聴取者からの安否情報の電話受けに当たる。 総務局社員も数名ながら毎日出社し、 ガレキの片付け、 中継車の手配、 社員の足の確保、 食料や水の調達、 車のガソリン、 暖房用灯油、 発電機の燃料の調達にあたった。 また、 電算機に損傷が無かったため、 給与計算や放送進行表の作成作業にもあたった。 1/17~1/31は臨時勤務体制とし、 2月以降は順次通常勤務に戻す。 自宅被災復旧等のため休んだ者については、 原則として年休処理とし、 年休残の無いものについては特休扱いとする。 また、 社が自宅待機を指示した者は、 出勤扱いとした。 ■ 重要書類などの管理 地震発生後、 余震の恐れがあるため、 重要書類・資料・会社の実印などを被害の少なかった総務部長宅へ一時緊急避難。 会社の実印、 登記関係書類、 株主関係資料リスト、 株主総会記録 取締役会議事録、 他社との契約書・覚書社員の履歴など人事労務資料、 給与台帳など賃金資料、 決算関係資料などの財務資料、 資産台帳、 会社設立後の歴史的資料など。 危険分散のため、 財務・労務・営業の資料で電算機に入力しているデータの内、 重要なものは、 別のフロッピーにもうつす。 ■ 食料・水の確保 1月17日~20日の間は、 市内のコンビニ・スーパーなど食料品店に市民が殺到し、 調達不能となる。 また、 市内の道路は、 陥没や家屋の倒壊で各所で寸断され、 交通は麻痺状態となり、 市内への食料品の補給、 搬入ができず、 流通は完全にストップ、 大半の店が閉鎖。 このため近隣の三木市や小野市まで食料調達に出向く。 1月21日以降は、 被害の少なかった社員や放送関係者、 ゲスト、 リスナーから次々と差し入れが届く。 また、 泊り込み社員以外は各自弁当持参で出勤するように指示を出す。 水道・ガスは地震以後、 完全にストップした。 飲料水については、 断水を免れた社員が出社時にポリタンクで水を運んでくれる。 何より困ったのは、 断水後の水洗便所の紙づまりで2ヶ所が使用不能になる。 水洗用の水の確保が困難を極めた。 社員が出勤時に、 農業用水をトラックで運び、 バケツで使用後流すという状況が続いた。 ■ 宿直室・寝具の確保 当社の平常時の宿泊勤務者は2名のため、 普段から寝具は十分に確保していなかった。 地震発生以降空調機が故障し、 社内の暖房が完全に止まる。 社内にある全ての電気ストーブ、 灯油のストーブで暖をとる。 また、 災害放送のため毎日10数名が宿泊したため、 宿直室のほか応接室や役員室を仮眠室とし、 不足の毛布、 布団等の寝具を調達したが、 数が不足で社員に非常に寒い思いをさせた。 発生後直ちに近所の旅館や国道南側の国民宿舎などに宿泊場所の提供を申し入れたが、 各々被災していたり、 避難場所になっており断られる。 入浴については、 1月21日以降、 近くのホテルと交渉して、 2週間にわたり、 1部屋を確保。 番組ゲストの宿泊や社員の入浴が可能となる。 ■ 電源の確保、 中継車・発電機等の燃料確保。 本社のある神戸市須磨区は平常時は電源事情が非常によく、 停電は皆無に近い状況であった。 また今回のような災害を想定し、 受電系統は別ルートで2系統受電を行っていたが、 震度7で全市停電ではなす術がなかった。 (地震後30時間の停電は1回、 20時間程度の停電が2回発生した。) 非常用発電機の燃料タンクは 450リットルの容量で、 地震時 350リットルが残っていた。 約30時間は運転可能だが、 ビル倒壊や火災の発生など2次災害が広まるに従い、 停電復旧の目処が立たず、 発電機の燃料が切れれば、 放送もストップするといった状況の中、 市内のガソリンスタンドはほとんどが閉鎖。 発電機の燃料、 暖房用灯油、 中継車のガソリンを求めて、 軽トラックで被災を免れた西へ向かい、 やっと加古川市で燃料を確保できた。 1月24日、 近くのガソリンスタンドと交渉し、 定期的な燃料補給と緊急時の優先的供給確保を図る。 ■ 情報通信手段 ● 兵庫県が今回のような災害時の非常通信手段として、 通信衛星を使った災害通信の情報ネットワークを約80億円かけて構築したが、 基地局のある兵庫県庁が停電となり、 また情報発信基地の発電機が故障し、 システム全体が機能せず、 端末局の当社にも情報が一切入って来なかったのは、 今後に問題を残した。 ● 災害時に強いと言われている中波ラジオであるが、 地震発生と同時にNTTの電話回線が、 電話局の被災や停電及び電話の殺到で交換機がパンク状態となり、 ほとんどが話し中の状態となる。 このため、 最も手軽な電話による情報収集がほとんど出来なかった。 そんな中で電話リクエスト用に設置した7台の着信専用電話が生きており、 リスナーから多数の情報が寄せられたことはありがたかった。 さらに、 専用線が一度も不通にならなかったことで、 災害時には交換機を通らない回線が強いことがわかった。 どちらにしても、 災害時の情報伝達は無線しか無いと思っていた方がよい。 (6) 地震発生3ヶ月以降の対応 ● 5月2日、 ハーバーランド内に建設中の情報センタービルに新社屋移転を社内決定。 ● 住宅都市整備公団との間で本社ビルの補強、 補修工事開始について合意。 工事開始に伴い、 録音スタジオの確保が緊急課題となり、 コンテナ型防音スタジオ2室を駐車場内に建設することを決定し、 業者発注。 6月20日完成、 音声機材をセットし、 稼働。 ● 同じく補修工事開始に伴い、 3.4GHz帯STLの送信機及びパラボラアンテナの移設が発生。 郵政省より緊急措置として期間限定で 67MHz帯への周波数移行が認められ、 VHFアンテナを業者発注。 67MHz帯STL送受信装置については、 昨年送信所移転前に使用していた機器を再使用する。 6月20日、 STL変更検査合格、 運用開始。 社自体が 『全壊』という被害を受けながら、 被災地の地元ラジオ局としてマスコミの使命である災害報道を全うし、 災害時に強いAMラジオを実証できた裏には幾多のラッキーがあった。 (7) 管理部門としての総括 ● 地震発生がウィークデーであったため、 早朝にも関わらず生番組のスタッフが11名出社しており、 午前6時には災害放送体制が組めた。 ● 交通機関ストップ、 道路寸断の状況下にあって、 当日正午の時点で31名の社員が出社し、 被災現場の取材、 安否情報の電話受け、 放送設備の復旧や倒壊したコンクリート壁のガレキ処理にあたれた。 ● 社屋、 放送設備が大きな被害を受けたなか、 ハード面ではラジオの中枢であるマスター室と送出スタジオの被害が比較的軽微であったため、 直ちに災害放送が開始できた。 ● 敷地内に当社所有の4階建テナントビルがあり、 スタジオ及び本社機能 を緊急避難できた。 ● 敷地内に仮設スタジオ、 プレハブ事務所等を建設するスペース (駐車場) があった。 また、 地震の翌日に建設を決定し、 即日業者発注したため、 約1ヶ月後には移転できた。 ● 送信所を昨年11月に移転、 中波アンテナを従来の支線式から自立式に変 更し、 送信局舎及び放送機器も新設したため、 震源地にありながら無傷であった。 また、 移転後旧送信所の支線式アンテナ2基を直ちに解体撤去したため、 アンテナ倒壊による付近民家への2次災害を免れた。 目次に戻る 【9】管理部門 (総務) の対応 ● 1月17日 ○午前5時46分、 早朝生ワイド 『おはようラジオ朝一番』本番中に 『震度7』の直下型大地震発生 (震源地:淡路島北部) 本社屋は壊滅的被害を受ける。 番組スタッフは余震を避けるため、 一時社外へ緊急避難する。 ○午前5時50分、 番組ディレクターより、 総務部長宅へ緊急連絡が入る。 ○午前6時00分の時報から自家発電にて放送再開。 (放送中断は14分間) ○午前6時15分に出社した総務部長が、 役員・社員に非常呼集をかける。 ○午前7時30分出社した報道制作局幹部を中心に 『特別災害報道本部』設置。 (災害報道の方針、 期間、 取材体制、 要員確保などについて検討) ○総務局員を中心に事務所、 スタジオ周辺廊下のコンクリート壁倒壊によるガレキを撤去し、 通路の確保にあたる。 ○社員の安否確認。 (電話回線は電話局自体の被災や電話の殺到で交換機がパンク状態となり、 社員全員の安否が確認できたのは約1週間後である) ○代表電話にかかってくる市民、 リスナーからの安否・災害情報などの電話受けにあたる。 ○水、 食料の確保。 (特に食料については神戸市内で調達できず、 三木市で確保) ○長時間の停電が予想され、 非常用発電機、 中継車、 暖房用燃料の調達手配。 (神戸市内のガソリンスタンドは閉鎖のため、 翌日加古川市で燃料確保) ○社内での宿泊場所 (役員室・応接室など)、 寝具の確保。 ● 1月18日 ○役員による 『災害対策本部』設置、 今後の緊急対策について決定。 社員の安否、 社屋等の被災状況の掌握、 放送継続のための緊急対策、 全壊した営業局事務所対策、 被災社員への見舞金・特別貸付、 義援金口座開設。 ○電算機が無傷のため、 給与振込のフロッピーを銀行へ持ち込む。 給与25日支給を社内通達。 (受取銀行の被災等で2~3日遅れもあった) ○昨年建設した新送信所の自立式中波アンテナ2基、 送信局舎、 放送機器の被災状況の点検を業者に依頼する。 ○本社屋 (A棟) ・設備の被害状況の掌握。 (社屋については建設会社に依頼) ○会社の実印、 重要書類は被害の少なかった総務部長宅へ一時緊急避難する。 ○宿泊者多数のため、 宿泊場所として近くにある国民宿舎や旅館に場所提供を依頼するが、 各々が被災していたり、 避難場所になっていて断られる。 ○水、 食料の確保、 社員の安否確認、 ガレキの処理にあたる。 ● 1月19日 ○敷地内の当社所有テナントビル (B棟) への緊急避難の検討、 準備に入る。 ○敷地内駐車場に仮設スタジオ及びラジオマスター (約50■) 1棟と、 2階建事務所プレハブ (約150■) 1棟の建設を決定し、 業者発注。 ○倒れたレコード棚と散乱した約10万枚のCD・レコードの片付けと移動。 ○空調機故障で暖房ストップ。 電気、 灯油ストーブを調達。 ○建設会社の診断で本社ビル (A棟) は危険な状態との判断が出る。 ● 1月20日 ○スタジオ及び本社機能をテナントビル (B棟) へ移すことを決定 (社内通達) ○三宮の神戸新聞会館にあった神戸営業局事務所が全壊のため、 営業局事務所をハーバーランドへ移転することを決定。 ○災害義援金口座をさくら銀行に開設、 放送で募金を呼びかける。 ○被災社員への見舞金、 特別貸付について社内通達。 ● 1月21日 ○近くのホテルと契約、 2週間1部屋を確保。 (番組ゲストの宿泊と社員の入浴が可能となる) ○食料確保が困難なため、 泊り込み社員以外は弁当持参で出勤するように指示を出す。 ● 1月22日 ○テナントビル (B棟) へ災害報道本部、 本社機能を移す。 (本社社員、 営業局社員、 番組アルバイトなどで引越し実施) 1月23日 ○本社屋で放送を行いながら、 テナントビル (B棟) に送出スタジオ設営。 ○加入電話回線、 専用線の移設及び電算機端末装置の移設を行う。 移設工事についてはNTT、 電話業者とも被災しており対応できず。 電算機本体、 電話交換機は本社 (A棟) に残し、 総務・技術両職場でテナントビル (B棟) までケーブル延長を行う。 ○三宮~本社間に送迎バス1日2往復運行開始。 (社内通達) ● 1月24日 ○テナントビル (B棟) に設置した送出スタジオから放送を始める。 ○昭和シェル石油のガソリンスタンドと交渉し、 定期的な燃料の補給と緊急時の優先的燃料確保を図る。 ○非常事態が長期化する見通しのため、 各職場に臨時の勤務ダイヤを組み対応するように社内通達を出す。 ● 1月25日 ○敷地内駐車場に仮設の鉄骨シェルタースタジオ建設工事着工。 ○電源系統の移設工事打合せ及び発注。 ○ハーバーランド内ダイヤニッセイビルに神戸営業局事務所を移し、 営業活動を再開。 ● 1月27日 ○JRは大阪~住吉間で開通、 また、 阪神電車も梅田~青木間で開通したため、 送迎バスも青木~本社間に振り替え1日2往復運行。 ○須磨区役所の罹災証明で本社屋は 『全壊』。、 B棟は 『半壊』の判定が出る。 ● 2月3日 ○仮設シェルタースタジオが駐車場内に完成。 受電・発電系統の引込工事完了。 空調、 照明工事も完了。 ○震災特別番組 『兵庫県南部地震~放送現場からの証言~』2時間で生放送。 ● 2月5日 ○仮設シェルタースタジオの副調整室に音声機器をセット、 本社屋からラジオマスターの設備一式を移設したが、 スタジオの遮音が不完全のため、 再度防音工事の手直しを追加発注する。 放送はテナントビル (B棟) で継続。 ● 2月8日 ○駐車場内シェルタースタジオ横に2階建プレハブの本社事務所建設に着工。 ● 2月17日 ○震災1ヶ月特別番組 『私にできること、 あなたへの提言~いま始まるボランティア活動~』放送。 ● 2月20日 ○プレハブの本社事務所完成。 電源、 空調、 照明工事に入る。 ● 2月24日 ○テナントビル (B棟) よりプレハブへ本社機能を移す。 電算機本体及び電話交換機は本社屋 (A棟) より、 OA機器、 机、 椅子などはB棟より移す。 ● 2月28日 ○仮設シェルタースタジオの防音工事完了、 専用線等を移す。 ● 3月1日 ○放送開始時より仮設シェルタースタジオに切替えて、 本放送始める。 『シェルタースタジオ117』と名付ける。 ● 3月2日 ○仮設スタジオとプレハブ本社の中間に倉庫プレハブとトイレ発注し着工。 ● 3月17日 ○震災2ヶ月特別番組 『ファイト!神戸』放送。 ● 3月25日 ○倉庫プレハブ完成。 レコード室、 テープ編集室、 資料室を移す。 ● 4月1日 ○三宮地下街に 『AM KOBE さんちかサテライトスタジオ』を開設し、 放送を始める。 ● 4月3日 ○新年度スタート。 新入社員入社式、 永年勤続表彰を行う。 ○月~土の番組大改編、 新番組 『ラジオRAMDA』スタート。 ● 4月14日 ○機構改革、 人事異動発令。 ● 5月2日 ○ハーバーランド内情報センタービルへ新社屋移転を社内決定。 ● 5月25日 ○本社屋の補強・補修工事開始決定に伴い、 録音スタジオの確保が緊急課題となり、 コンテナ型スタジオ2室を駐車場内に建設することで業者発注。 ○同じく補修工事開始に伴い、 3.4GHz帯STL送信機及びパラボラアンテナの移設が発生。 郵政省より緊急避難措置として期間限定で 67MHz帯への移行を認められる。 VHFの送受信アンテナ発注。 (送受信装置については、 昨年送信所移転前に使用していた機器を使用) ● 6月10日 ○67MHz帯STLのアンテナ及び送受信装置を、 本社と送信所に設置。 ● 6月20日 ○STL変更検査合格、 運用開始。 ○録音スタジオ2室完成、 音声器材をセットし稼働。 目次に戻る 【10】被害状況 (1) 被害内容の一覧 被 害 場 所 被 害 内 容 ラジオ関西 本社 【本社々屋】 罹災証明 『全壊』。 須磨区行幸町 ビル全体の外壁面に亀裂、 タイル剥離 正面玄関ロータリー・駐車場・建物周辺路面陥没 (1階) ロビー・ホールの壁面亀裂、 玄関ドア、 窓ガラス破損 (2階) ビル支柱に亀裂、 スタジオ周辺のコンクリート壁倒壊 スタジオ防音ドア・防音窓ガラス破損 事務室・レコード室・応接・倉庫等ドア破損開閉不能 事務室壁面亀裂、 レコード棚が倒れレコード多数破損 録音スタジオ1室使用不能 放送設備・音声機器の多数が倒れ一部破損し使用不能 OA機器、 什器備品類多数破損し使用不能 【付帯設備】 上下水道管破裂、 ガス管破損 空調設備故障、 空調配管ダクト破損 神戸営業局事務所 神戸新聞会館 『全壊』で取り壊し決定 神戸新聞会館内 被災後全面立入禁止のため電算機端末・OA機器・什器備 品類 一切搬出不能 (滅失) 淡路送信所 液状化現象により敷地内地面亀裂、 一部陥没 中波送信アンテナ周辺防護フェンス一部破損 当社関連企業ビル 【レストインスマ】 罹災証明 『半壊』 本社敷地内 上下水道管破損、 ガス管破損 屋根鉄骨一部破損、 ビル壁面・階段亀裂 空調用クーリングタワー破損、 エレベーター故障 (2) 復旧状況 項 目 復 旧 状 況 ラジオ関西本社屋 (本社屋復旧状況) 本社屋は住宅都市整備公団と区分所有の12階建てビル。 被災後、 1月24日から放送スタジオ及び本社機能を敷地内の 当社関連企業ビル内に移し、 放送継続。 また、 被災直後から駐車場内で建設にかかった仮設スタジオ・ 仮事務所などプレハブ3棟が2月末に完成、 放送機器等を再 度移設して3月1日より放送を始める。 4月末に本社ビルを補強、 補修して復旧を図ることで住宅公 団と合意。 5月以降3階以上の住宅部分から補修工事に着工。 (付帯設備・放送設備・什器備品の復旧状況) 上下水道・ガスは8月までに修理予定。 空調設備は修理凍結。 コンテナ型録音スタジオ2室を敷地内に建設 放送機器、 什器備品は一部修理、 その他は買い替え。 神戸営業局事務所 ハーバーランド内ダイヤニッセイビルに事務所を移し、 1月25 日より営業活動を再開。 事務機器、 什器備品は買いそろえる。 淡路送信所 敷地内地面の陥没は整地予定。 中波アンテナ周辺フェンスも修理予定。 当社関連企業ビル 【レストインスマ】は4階建てのテナントビル。 4月初旬には上下水道、 ガス管の破損修理は完了、 営業再開。 ビル壁面・階段の亀裂は現在補修工事中。 エレベーター及び空調用クーリングタワーは修理時期未定。 目次に戻る 【11】今後の課題 今回のような大災害の場合、 被災者のラジオへの情報依存度は極めて高い。 それは、 停電や通信手段の壊滅、 交通網の途絶といった最悪の状況のもとで人々は唯一の情報源としてラジオを拠りどころとするからである。 このことから、 被災地のラジオ局は、 何をおいても、 地域の人々の災害時のさまざまな情報ニーズに応えるための万全の体制をとり、 人々の不安を取りのぞく安心報道を展開することだと言える。 今回のAM神戸の災害報道が地域に支えられたものであり、 市民ラジオとして機能した教訓から、 今後の私達の課題は、 日常の放送活動の中で、 地域にさらに密着し、 防災意識を高め、 万一に備える体制をつくることにある。 地域の人たちのいのちと暮らしを守る、 あわせて、 社員のいのちを守ることを大命題として、 今後の大災害報道マニュアルつくりのための点検を行わねばならない。 その際の検討課題として以下のものが考えられる。 (1) 社全体 最小人員の下でも初動体制がとれるシステム。 社員への連絡手段・非常呼集方法。 人員確保、 特に徒歩で出社可能な社員の確保。 災害時の配置、 任務の明確化と事前確認。 災害放送維持・継続のためのバックアップ・サポート体制。 ハード面でどこまでバックアップを設備しておくかの検討、 また防災用の諸設備、 機能 の充実。 重要書類などの危険分散。 (F. Dによる分散管理) 災害時の社員全員記者化の確認。 個人判断でない災害時の行動基準の設定。 (2) 報道実施面 電話ライン寸断の事態を想定し、 行政、 防災、 ライフライン各機関との確実な連絡シス テム。 共同通信回線の断線の事態に備えた補完措置。 指揮系統の明確化、 役割分担の明確化。 全体に方針や状況を把握し易くするための措置。 AMラジオとしての災害報道方針と基本的報道姿勢の確認。 情報入手方法、 連絡ルートの再構築。 安否・生活情報など災害時の情報の編集方針の策定、 及び整理・保存方針の策定。 リスナーとの対応 (問い合わせ・苦情) 体制。 緊急時の連絡システムの確立、 及び人員配置・役務分担の明確化。 早朝・夜間の報道体制。 情報センターを中心とした集団報道、 取材体制。 取材マニュアルの作成。 取材・レポート能力のある記者の育成。 取材面でのバックアップ、 ニュース源の確保などの面からニュースネットワークへの加 盟の検討。 本社と出先との連絡体制。 中継器材の整備と保管。 (3) ハード面 放送用・連絡用のナローバンドチャンネルや中継用のワイドバンドチャンネルの割り当 て増。 パーソナル無線の活用 兵庫県の防災無線 (CS) の活用 NTT衛星回線の利用 ラジオ局へのEPUの使用認可。 最悪の事態を想定した技術的シュミレーション。 ● 演奏所 ・オンエアスタジオが使用不能 他のスタジオに切り換える ・スタジオ切り替えのAPSが動作しない スタジオ出力をSTLに直結 (マスター) スタジオとSTL直結 ・他のスタジオもまったく使えない 臨時コンソールを組む。 中継車を臨時スタジオに転用する ・中継機能に障害 ハイブリッド-他のスタジオのハイブリッド 可搬ハイブリッド NTT回線の直結 中継アンテナ-臨時設置 無線受信機-予備機材の利用 連絡無線機の転用 専用線の障害- ● 演奏所~送信所間の回線 ・パラボラが倒壊、 または傾いて使用できない 予備回線の活用 (INS、 専用線) 中継用無線機の活用 ・STL装置の故障 中継用無線機の活用、 予備回線の活用 ・リモコン不能 有線での予備系統 ・最悪の場合、 送信所から直接オンエア マイク、 アンプ、 連絡方法、 情報伝達方法、 要員派遣 ● 送信所 ・アンテナの倒壊 アンテナ1本での放送 (通常は2基) 大型クレーン車による臨時アンテナの設置 車輌手配、 組立、 アンテナ整合などの問題 ・同軸ケーブルの切断 予備ケーブルを設備に置く ・放送機の故障 可搬放送機で小電力でも放送 ・送信所派遣要員の足の確保 フェリー運休時の船の確保 単車、 自転車での送信所行き ● その他 ・停電 非常エンジンの不起動 手動起動の方法 冷却装置、 冷却水の確保 燃料の確保 開店しているスタンド、 配達方法 ・人員 非常時の自動出勤体制 呼出体制 (4) 営業面 CM休止・中止広告主の早期復帰への手立て 被災広告主の減少に伴う、 新規広告主の開拓 市場変動に伴う営業部員の再配置 中止イベントに代わる新規事業の企画・立案 (5) 地域、 他局 局別情報分担の可能性の検討など、 近隣AM局との協力体制。 国際都市の地元局としての外人向け報道の検討。 地域リスナー ネットワーク作り。 地域防災計画でのラジオの役割の明確化。 行政サイドからの積極的情報提供とラジオ情報の行政サイドの積極利用の働きかけ。 (6) 番組編成 災害時における番組取扱い基準の見直し。 継続的震災フォローのための番組編成と体制づくり。 防災面を意識した継続性のある番組編成。 (7) その他 CD、 レコード棚の固定・強化。 取材班の身を守るヘルメット、 ゴーグル、 手袋等の整備。 携帯電話の活用。 ラジオ、 及びマニュアルの常時携帯。 以 上 |